’72年のマトリョーシカ 公演情報 風雷紡「’72年のマトリョーシカ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     無論、元ネタは現実にあった事件。

    ネタバレBOX

    「あさま山荘」事件である。極左とされる連合赤軍事件で左派と呼ばれているのは、永田 洋子を中心とした京浜安保共闘。連合赤軍はこれに森恒夫を中心とする赤軍派が加わり共闘組織という形を採った。無論、世界同時革命を標榜しPFLPと連帯した重信 房子らとは別系統だ。赤軍メンバーは知的レベルの高いメンバーが多く理論家肌のメンバーが多かったとされる。人間的にもトロツキスト・理想派が多かったようである。これに対し京浜安保共闘は実際に京浜地区の労働者が多かったとされ、理論よりは実践派、行動的なメンバーが多かったようである。粛清されたメンバーは主として永田の嫉妬心を刺激した為殺害された者が多かったと考えられるが、形式上は、所謂総括の論理による刑死であった。無論、その論理に整合性も社会科学的根拠も無いことは明白である。革命左派というより、寧ろ宗教に近かろう。然し、今作の提起している問題の核心はそんな所にない。寧ろ、日本及び日本人の極めて深い所からその判断、行動を規定している規範を俎上に載せていると見るべきだろう。その規範とは村の掟即ち、それを犯せば村八分という憂き目をみる諸々の慣習並びに卑怯な判断を内的に正当化する為の詭弁である。これを顕在化する為に極めて効果的にじゃんけん歌が用いられている。そしてこの卑劣は、現代にも脈々と息づき我々日本人の多くを盲目的に縛っているが、それは例えば苛めに、或いは幼児虐待に、或いは在日外国人差別に、被差別部落出身者差別に、と至る所で顔を出す。それは、現在世界中で猛威を揮うグローバリゼーションを技術的に支えるインターネット環境下でも日本人に不利に作用している。どういうことかというと、例えばパソコン作業に用いられる様々なインターフェイスの開発者たちは莫大な利益を享受するが、開発されたソフトを用いて利便性を享受し続けるだけの人々は、利便性の高まった労働現場では、経験や技術力を必要としない単純労働を担う労賃の安い人々に代替され職を失ってゆく。而もこの動きは好況、不況の波の中で採用人員や採用条件が上振れするという希望も持てないままである。何故なら生産手段がほぼ飽和状態迄開発された現状では、利潤を追求する企業経理上で採算を上げる為には労賃を安くする他道が無いからである。他に社会の中流に居る人々がまともな収入を得ようとすれば、起業して新たにニッチなレベルで確たる地位を築くか、取り敢えずインターフェイスの新ソフトを開発して利権を確保するとかしかあるまい。でなければ、単なる「便利」の享受者として社会的弱者への道を転げ落ちる他無い。そしてこのような開発力を持つ人間にはある種の共通項がある。MIT,IIT等のエリート校に多いタイプ、nerdである。日本はこのタイプの人々を潰しこそすれ、育てるなどということをしてこなかったし現在もしていない。日本人であってもこの手の人達は既に海外に拠点を移し、多くは戻って来ない。意味が無いからである。このような人材を大切にできないどころか潰すことしかできない日本に未来が無いことをこそ、今作は告げているのである。公安が人質にされた若い妻に証言を変えさせる経緯にもその穢しさは露骨に表れている。

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    2019/08/17 01:59

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