満足度★★★
鑑賞日2019/08/01 (木) 14:00
座席1列17番
もはや古典の域に入っている戯曲について、作品そのものの評価をしても致し方あるまい。とはいえ、観客としての素朴な疑問、素朴な感想(それも寡聞、思い込み、無知に起因するとしても)は出てくる。
例えば「血のつながり」という題名。これは誰と誰のつながりなのだろうか。
この作品で血縁があるのは、父アンドリューと2人の娘、エンマとリッヅィー。まあ、義母アビゲイルと弟ハリーも血縁があるけれど、こちらは事件の発生装置みたいなものだ。特に血縁に意味はない、と思う。
さて、アンドリューへのリッヅィーの極端な愛憎の起伏、エンマとリッヅィーの心の深層に淀む背徳的な関係、これらは血縁があればこそで、事件が起きたのは彼らが血縁にあったから、そして血縁にあったが故にリッヅィーは無罪になった、と いう理解でよいのだろうか。
勘違いしていたのは、はなからミステリーだと思って観劇したこと。謎解きではないし。とはいえ、サスペンスと言われても、別段、ハラハラドキドキもない。あっと驚くこともない。
アフタートークを聞いて、ああ、これは19世紀末のアメリカ文化を描いた社会派劇なのだなと納得した次第。リッズィーと同性愛(?)関係にある女優が、10年前の惨殺事件をリッヅィー役として再現するとういう興趣。面白い。そしてリッヅィー自身は、一癖ある女中役として、10年前のリッヅィーに寄り添い、自身の行動を客観視しながら、サイレントパートナーごとく、共犯関係を築いていく。これも面白い。
当時のアメリカ社会の意識を聞き、この物語が孕むマスコミを透過することで起こる事実の疎外化を論じられると、なるほどなるほど、と納得するのだけれど、、、、
でも、演劇として面白いかと問われるとどうだろう。役者の皆さんはさすがと思わせる技量はあるし、そつもないし。(ネタバレ)