血のつながり 公演情報 血のつながり」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
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  • 約1時間50分、10分休含。1892年に米国で起きた惨殺事件が題材の1980年代の海外戯曲。男尊女卑のお屋敷内でも女の本当の敵は女。会話の組み立てが緻密で人間関係が明快。行動の動機、契機に説得力があり、結末の主張が淀みなく伝わる。稲葉賀恵演出。

  • 満足度★★★

    鑑賞日2019/08/01 (木) 14:00

    座席1列17番

     もはや古典の域に入っている戯曲について、作品そのものの評価をしても致し方あるまい。とはいえ、観客としての素朴な疑問、素朴な感想(それも寡聞、思い込み、無知に起因するとしても)は出てくる。
    例えば「血のつながり」という題名。これは誰と誰のつながりなのだろうか。
    この作品で血縁があるのは、父アンドリューと2人の娘、エンマとリッヅィー。まあ、義母アビゲイルと弟ハリーも血縁があるけれど、こちらは事件の発生装置みたいなものだ。特に血縁に意味はない、と思う。
     さて、アンドリューへのリッヅィーの極端な愛憎の起伏、エンマとリッヅィーの心の深層に淀む背徳的な関係、これらは血縁があればこそで、事件が起きたのは彼らが血縁にあったから、そして血縁にあったが故にリッヅィーは無罪になった、と いう理解でよいのだろうか。
     
     勘違いしていたのは、はなからミステリーだと思って観劇したこと。謎解きではないし。とはいえ、サスペンスと言われても、別段、ハラハラドキドキもない。あっと驚くこともない。
     アフタートークを聞いて、ああ、これは19世紀末のアメリカ文化を描いた社会派劇なのだなと納得した次第。リッズィーと同性愛(?)関係にある女優が、10年前の惨殺事件をリッヅィー役として再現するとういう興趣。面白い。そしてリッヅィー自身は、一癖ある女中役として、10年前のリッヅィーに寄り添い、自身の行動を客観視しながら、サイレントパートナーごとく、共犯関係を築いていく。これも面白い。
     当時のアメリカ社会の意識を聞き、この物語が孕むマスコミを透過することで起こる事実の疎外化を論じられると、なるほどなるほど、と納得するのだけれど、、、、

     でも、演劇として面白いかと問われるとどうだろう。役者の皆さんはさすがと思わせる技量はあるし、そつもないし。(ネタバレ)

    ネタバレBOX

    「リッズィー、あなたが犯人なの?」「いいえ、私じゃないわ」と言われてもねえ。
  • 満足度★★★★

    俳優陣の安定したふさわしい演技で、安心して観ていられる。
    いっぽう、原作の話はちょっとどうなのかな、という内容。ミステリー度が不足しており、かといって深層心理や狂気をじっくり描くわけでもなく。

  • 満足度★★★

    今年の3月に文学座のアトリエで上演した本を、俳優座の稽古爆公演がやるという。
    半世紀ちょい前なら演劇界の大事件(イベント)だが、今はひっそり、私も文学座は見逃した。カナダ演劇がいかにもアメリカ的な地方都市人間模様を描いても、いかばかりの物か、と食指が動かなかったのである。
    19世紀末、保守性が強いアメリカ東部小都市の資産家の一家のミステリである。父親に後妻、二人の子供はともに女姉妹である。後妻には性悪の弟がいて、資産を後妻のものにしようと耽々と狙っている。メイドが一人。この家で父親と後妻が斧で頭を割られて惨殺される。なぜこの犯罪が起きたか。
    戯曲は少し凝っていて、事件の結末も出た後で、姉妹の妹(若井なおみ)が友人の女優(小澤英恵)に、事件の経緯を再現させて、その心理を追うという形になっている。その犯罪事件は、アメリカでは有名な事件であるらしいが、我々が見ても経緯が平板で、、19世紀末にはこれで通ったんだなぁという位の感想しかわかない。日本で言えば明治の新派劇である。封建的な父性社会への反発、とか、女性の自立、とか、地方都市の封鎖性という枠組みも、父親、後妻、義弟のキャラ作りも、手を汚さない姉、イラつく妹、澄ました顔で手癖が悪いメイドなど、俳優もおなじみの型どおりで、戯曲の仕掛けがなければとてもまっとうには付き合っていられない。
    現代アメリカ演劇はこんなもんではないだろう。これは1980年初演と言うが、今年見たものでは俳小の「殺し屋ジョ―」が90年。掘り出すのなら、こういう生きのいい戯曲を発掘してほしい。二大劇団が争って上演するようなものではないだろう。ミステリ劇としても、レッツの方がはるかによく出来ている。
    ただ感心したのはやはり俳優の層の厚さで、旧新劇団には昔懐かしい、すれていないように見える美女がいる。姉役の桂ゆめも若井同様、美女であるだけでなく下手ではない。老けの中寛三は、今や大幹部だろうが、さすが柄では小劇場の及ぶところではない。装置もいいし、効果、音楽の入れ方もシャレている。すでに売り切れ続出は目出度いがせいぜい客席百余りでは、浮かれてもいられまい。この顔ぶれで、なぜ文学座と張り合ってまでこの本で、公演を打ったのか、ミステリの謎は解けない。。

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