しだれ咲き サマーストーム 公演情報 あやめ十八番「しだれ咲き サマーストーム」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    サンモールスタジオ公演以来2~3年振り二度目のあやめ十八番。自分が観るようなモンじゃないな、と思ったものだが、昨年の「ゲイシャパラソル」は題名にそそられ(観られず)、今回は吉祥寺シアターでやるというので何故だか観たくなった。
    予想通り、ではないが期待を裏切らず、目を喜ばす美術が広がる。目一杯高さを利用して渡された橋、階段、舞台面からは闇に溶ける奥行があり、巨大な月の一部が覗いている。箱庭的なカタチに乗っかって、「江戸」のノリと気分が舞台上に持続する。もっとも「現代」要素も悪びれずに現れて共存し、なんちゃって感を祝祭的に高める生演奏の音曲と、江戸らしい啖呵や口上に導かれ芝居は進んで行く。
    ストーリー自体は散漫である。最初からその兆しがあり、結句その通りであった、と思う。最終的に作者がどの人物にフォーカスしたかったかは判らないが、答えの一つは千秋楽終演後の挨拶で作者自身が披露した作品解釈=「3人の誰がオチを取るかの奪い合いのようなもの」。なるほど、焦点は定まらなくて自然な訳である。
    各人物は互いを牽制しあう事で人間像や生涯像が棲み分けされ、トータルで群像を形成する。群像はその背後に何かを見せる。彼らがうごめく吉原という土地そして江戸という時代。「終わり」へ疾走する終末の気分が支配するのは、欲と金に追われる者共のはやる心のせいもあろうが、「江戸」がやがて終りを迎える時代区分、もっと言えば消え行く文化である事が影響するのだろう。この劇団が(本家の花組芝居も)なぜ「江戸」をやりたがるのか、の回答が芝居の作りににじみ出ており、ある種の憧憬や願いに観客も同意し、架空世界の構築に加担していく。どんな芝居もそうなのであるが、希薄なストーリーでも成立してしまう裏にはそういう事もあろう。
    一回目の観劇ではそれ(ストーリー性の問題)がネックになったが、今回は「話」に入り込もうとせず冷静に筋を追いながら観た。ヘタに整理をつけようと言葉数が増えるより、ノリの持続を選った潔さ?を快く受け止めた次第。

    ネタバレBOX

    そう言えば中盤「昼飯(ひるまま)」=枝雀師匠の出囃子=の変奏が鳴ったのは嬉しかった。落語を「発見」した作者の欣喜雀躍に共鳴。

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    2019/07/25 23:22

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