ジャスパー・ジョーンズ 公演情報 名取事務所「ジャスパー・ジョーンズ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2019/07/17 (水) 19:00

    座席G列8番

    私は寡聞にして、アメリカを支持して、ベトナム戦争にオーストラリアが派兵していたことを知らなかった。ということは、アメリカに限らず帰還兵のPTSDは、アメリカの同盟国においても見られただろうから、憲法第9条を盾に派兵ができなかった日本の幸運を感ぜずにはいられない。

    タイトルになっている「ジャスパー・ジョーンズ」は人名であり、登場人物ではあるが主人公ではない。主人公は、チャーリーという読書好きの、ひ弱な14歳の少年である。ジャスパー・ジョーンズは、白人とアポリジニ(オーストラリア原住民)との間に生まれた16歳の少年である。(だから、フライヤーに載っている爺さんではない。)

     ジャスパー・ジョーンズの存在は、直接的にも間接的にも、ここコリガンという田舎町で起きている様々な抑圧と差別、絶望と排他の象徴である。人種差別(原住民族やアジア人)、失業、児童虐待、いじめ、不倫、暴力、そして近親相姦。(遠くには。ベトナム戦争の影も見える)町で何か犯罪や事故が起きると、「ジャスパーがやったに違いない」と言われる存在である。
     ジャスパーは愛する少女ローラとこの田舎町を脱出しようと試みる。アメリカの戯曲によくある、閉鎖社会からの脱出、明日への希望を手に入れるための行動。(ネタバレ)

    ネタバレBOX

    ここまで書くと、かなり陰惨な話に思われるだろう。確かに少女ローラの死、その妹イライザの放火と話の導入と顛末は暗澹とするものだ。しかし、驚くくらいに、チャーリーやジャスパーを含む少年少女たちは、この逆境をポジティブに乗り越えてしまう。

     導入部での、ジャスパーがチャーリーを乗せて疾走する自転車、クリケットに一生懸命になっているジェフリー(チャ―リーの隣家に住むベトナム人の友人)、ラストの少年たちの明るい笑顔。そして、おそらく1人の友人を得たことからだろう、ジャスパーがチャーリーの部屋の窓の下に置いていく、感謝の食べ物。
     とにかく、明るい。気持ちが良いくらいに明るい。チャーリーだって、死体遺棄しているのに。この辺りの違和感をどう評価するのかが、きっと作品の評価も分けるのだろう。
     私は高く評価する。ローラの死が物語の中核ではあるが、それを無神経と言えるくらいに脇にやったり、スルーしたりしてしまう物語、少年少女たちのバイタリティに感動する。
     私はチャーリーが、ジャスパーが、ジェフリーが、イライザがとても好きだ。そして、苦悩を抱える脇役の大人たち、チャーリーの両親や、狂人ジャックにも、愛さえ感じる。
     日常なんて、こんな多調な空気感なのだから。

     フライヤーに載っている爺さんは、狂人ジャックと言われ、過去に人を殺したと噂される待ちの世捨て人。実はこの男はジャスパーの祖父であることが後半になって判る。彼は息子がアポリジニの娘と愛し合い、妊娠して結婚することを拒む存在であった。つまり、彼はある意味、ジャスパーを生み出した存在であると同時に、中絶をさせようとしたという意味で、ジャスパーの存在をなくそうとした存在でもある。また、全くの不慮ではあったが、ジャスパーの母親の命を亡くしたという意味で、息子を社会不適合者(アル中)に追いやり、ジャスパーの家庭・生活環境を決定づけた存在でもある。一方では、チャーリーやジェフリーの抑圧された状況を、ある芝居で開放してやる存在でもある。そして、推測だが現在のジャスパーの安寧を支えていることも推測される。
     つまり、ジャックは、抑圧を生み出し、開放を具現化するといった、双方の意味で、この芝居を体現する存在と言えるだろう。それが、フライヤーを飾った理由と思う。

     なお、他の方が述べているように、パンフに書かれてある、この作品が現代の日本の姿に重なるものとは思えないし、そうした視点で上演すべき作品とも思えない。全くの同感。
    戯曲は、現代的な視点で上演するもよし、独自の解釈で上演するもよし、時代考証しながら上演するもよし、だが、何でもかんでも現代日本と結び付ける必要はないのでは。

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    2019/07/18 11:50

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