オレステイア 公演情報 新国立劇場「オレステイア」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    中劇場へのなだらかな階段を上ったのは昨年1、2月頃、シス「近松心中物語」で久々だったが、新国立主催公演では何年振りになるか。2011~2013頃白井晃演出舞台や、森新太郎エドワード二世、宮本亜門サロメなどを観たものだが、今や殆ど貸し小屋状態である(PARCO休館の影響大か)。その中劇場で、文学座新鋭上村聡史がやるというので、昨年の「城塞」を観そびれたリベンジもあり、デカイ箱をどう使いこなすかも気になり、また「オレステイア」海外作家の翻案というのも気になり、今回は休暇を取って予定に組み込んだ。
    実はもう一つ、燐光群出身の俳優下総源太郎をしかと観るため。燐光群と言えば現状、腕のある俳優が「流れ着く」場所であり、俳優休業で姿を見なくなったというのでなく役者として研鑽を積み「上」を目指そうと退団した人はあまり見ない。話が逸れまくるが、2000年代前半からの燐光群ウォッチャーとしては当時宮島千栄や江口敦子、内海常葉(後に音響に専念)、向井孝成、ペ優宇といった面々がおり、そして声を聞かせる下総源太郎の名があった。当時は芝居=戯曲一辺倒、幾らか演出という観念で、私は坂手の「本」や演出に心酔したものだったが、それを支える俳優という存在に意識が向かいつつあったのも、存在感ある俳優との遭遇があり、下総氏はその大きな要因だったに違いない。もっとも坂手氏は俳優の出来不出来に左右されない舞台の作り方をする人とも思うが。

    さて4時間20分の構成は、3幕あるオレステイアの1幕が1時間余、2・3幕が1時間半余、最後の裁判シーンが1時間弱。休憩2回計40分。
    「翻案」は、主人公オレステスが精神科医の治療室で自分の過去を思い出し、その再現として本体のドラマが展開される、そしてオレステイアを構成する3作品の3つの事件が終えた後、生き残ったオレステスを被告とする裁判が開かれる、というものだ。
    今展開する情景は客観的な事実なのか、誰かの主観による再現なのか、微妙に揺らぎ、判然としない中で物語は進む。だが、客観性が際立つカメラによる中継映像が流れたり、主人公の発する言葉と周囲との微妙なズレなど、二次元の画用紙に書いたような一篇の物語に収まらず幾重にもメタ解釈が仕掛けられていそうな雰囲気が醸されているので、飽きない。
    趣里、神野三鈴の達者ぶりと横田栄司氏の完成形のような風情が特に印象的。佐川和正やチョウヨンホの勿体ない使い方も。倉野章子の舞台を私は初めて目にした。生田斗真は顔は知っててもどういう仕事をしているのか全く知らない事に気づいた。
    客席の女性率の圧倒的高さには、毎度圧倒される。

    ネタバレBOX

    物語: 男オレステス(生田斗真)の幼い頃、父アガメムノン(横田栄司)がトロイとの戦争に勝つため、神託に従って娘イピゲネイア(趣里)の命を神に捧げた(神託を授ける者/狂言回し=下総)。だが長い戦いの末勝利を収め、凱旋した夫を母クリュタイメストラ(神野三鈴)は捕虜にした愛人もろとも殺してしまう。母は夫を憎む一方でその弟アイギストスと親密になっており、我らがオレステスは父を奪った母を憎み、アイギストス共々殺してしまう。この最後の殺しを本人は中々認めることができず、物語中時折登場したエレクトラ(音月桂)は実は彼が作り出した存在である事が終盤に判ってくる(解離性障害)。
    娘殺しの夜、父に会えて嬉しそうにはしゃぐ娘に、三つの紙コップに入った飲み物を飲ませ、命を奪うシーンでは、幼いオレステスは紙コップの盆を運んでいる。このシーンでは現場に撮影クルーが入り、父が娘と頬を寄せ合うドアップの映像が舞台上方に映し出されるのが、秀逸である。ちなみにその「場所」というのは奥行きの長い舞台のやや奥あたり、2幕では半透明のカーテンが囲う四角のエリアで、殺人の象徴である西洋式の浴槽が置かれたり、場面により効果的に演出される。最後の裁判の場面では被告以外真紅の法衣をまとった中で、1人預言を行なう者(倉野章子)が背後で歩きさまよう場所にもなる。クリュタイメストラが凱旋した夫を「娘の死(戦争による死という事になっている)」にもかかわらず殊勝に迎える演説をぶったり、インタビューに答えるシーンにも(ここでも映像が入りカメラを通じて映像が客席に語りかけるこれも秀逸な場面)。

    こうした演出や趣向が戯曲の文体にも馴染み、程よく難解で面白く見られるが、裁判の場で「物語」が男の罪という視点で議論が始まると、議論のレベルがいささか単純、学校の教科書解説本で解釈を読むような所で緊張の糸が緩み掛ける瞬間も。だが最終的に男は有罪か無罪かの判決をもらうことになり、この判決というものはズシンと重い。裁判がどんな法的効果、実効性を持つのかが示されておらず、議論のための議論にも見えていた所が、「判決」と聴いた時の厳粛な気分というのは不思議なものだ。
    判決を聞いたオレステスが、それをどう受け止めるかまで戯曲は台詞にしているが、最後の言葉のチョイスは難しい。別な言葉でも良かった気がするが、ギリシャ悲劇への西洋人の一つの読み方というものを味わった気がする。

    0

    2019/06/30 01:12

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大