自由を我らに 公演情報 カプセル兵団「自由を我らに」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    現代向けの内容。
    文字で書かれた憲法を芝居として観せる、そうすることでより分かり易くなる、とは形を変えて公演の中で言われたこと。テーマである”憲法論議”をする前から、すでに権利に関する伏線があり、劇中で民主主義の根幹ともいえる多数決に潜む問題指摘をする等、色々な形で憲法にある条文をしっかり描き出す、その構成は巧みである。
    丁々発止の会話劇、その内容は極めて現代に向けて発信し改めて考えさせるもの。物語は、新たな「日本国憲法」の発布にあたり、国民に新憲法を理解・浸透させるため政府は小説家、歌人、新聞記者、劇作家、随筆家、広告文案家、等の言葉の専門家を集め文語で書かれた憲法を口語に直す作業を依頼したが…。
    (上演時間2時間)

    ネタバレBOX

    セットは、上手側奥に軽食・飲み物が置かれたテーブル、客席側に司会者用の演壇が置かれている。あとは会議出席者分の椅子があるシンプルなもの。もちろん椅子は始まるまでは客席側を向いており、その後議論の展開によって出席者が動かし向きも変える。
    さて、文語体を口語体へ変更する期限は、翌朝の新聞朝刊に掲載するまでの時間。しかし印刷等に掛かる時間を除けば、実質2時間しか議論できない。これは上演時間2時間に重ね合わせ臨場感を持たせたもの。

    政府によって任意に選ばれた文筆業等の専門家が集まってくるところから物語は始まる。1幕劇らしく、登場人物の人柄なりが分かるような紹介場面があるが、その中で女流作家が書いた心中物の小説を同じ会議に出席している劇作家が無断で上演している。周りは(著作)権利の侵害だと糾弾するが、女流作家は劇化することでより小説が分かり易くなると喜ぶ。”権利”の判断基準はどこにあるのか?小説家が書いた文章の”責任”とは?あれ、これって小難し憲法を劇化して観せるこの公演そのものでは?

    さて口語体への論議は、第1章(天皇)、第2章(戦争の放棄)、第3章(国民の権利及び義務)を通して、解り難い言い回しを国民が理解でき新憲法が浸透するようにするもの。しかし議論が色々派生し漂流し出し、考えの違いによって纏まりが付かなくなると如何様にでも解釈できる曖昧な表現にするいう矛盾した結論へ。ここに”日本人らしい”という言葉に集約される無責任な姿が浮き彫りになる。

    圧巻は、現代の改憲論議の中心であろう憲法9条「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」についての議論である。特攻帰りの小説家と政府役人(3人のうちの1人)による戦争・戦力・交戦権を巡る議論は、日本国内のみならず国際情勢に鑑み海外派兵云々はという現代的論争に通じるもの。この会議では日本が他国に攻撃(例えば、一時あった米ソ冷戦時代の仮想敵国等)された場合の自衛権の必要性が持ち出され、会議出席者の多くが賛同しそうになるが、頑としてその考えを受け入れない。民主主義の多数決に則れば…しかし自分の信念を貫き通す、多数決とは完全一致ではなく少数意見をも尊重する。憲法論議に絡めた民主主義の捉え方も鋭い。
    全体的に憲法議論を通していろいろな日本人”的”な発想(アメリカに対する根拠ない妄信等)が観えてくる快作。

    いくつも笑いの場を設けながら、しっかり憲法の曖昧さとそこに潜む危うさを垣間見せる。当時の状況に応じた憲法を取り合えず制定(曖昧に)して、後世の人々が時代に即して改憲すれば、という件はまさに現代へ問題・課題の先送り。政府役人(生粋万鈴サン)は力説する…10年後、50年後、100年後も戦争がない世であること。同感である。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2019/06/02 18:19

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