フランケンシュタイン 公演情報 富山のはるか「フランケンシュタイン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     ストレートプレイでこの作品を70分え上演するのはキツイと思っていたら、ダンスを多用した身体パフォーマンスであった。(華3つ☆追記2019.5.18)

    ネタバレBOX

    登場するのは、総て20代前半と思われる若者男女、恐らく作家も若書きであろう。オープニング早々「死ねない」というフレーズが各出演者によって呟かれる。フランケンシュタインによって創られた人造人間も深い悩みに苦しみ抜くが、今作ではグローバリゼーションの奴隷として生きざるを得ない、という発想しかできない大多数の若者の苦境を表現したと言えよう。
     舞台美術は極めてシンプル。中央に設えられているのは紗のような素材の横断幕で、その中央に飾りのように布をあしらってある。少し出捌けの幅を取って上・下に同じ紗のような素材の布が閉じたカーテンよろしく下がっている。更に客席側の上・下には台座に載せられた20吋ほどのスクリーン。上手奥の紗を透かして操作ブースが見える。開演前には、フランケンシュタインの呼吸音のつもりか、チューブにエアを通すような音が続いている。
     さて、具体的な内容を記述しておこう。上述したように極大化した収奪システムとして機能する現代資本主義は、その莫大な資金力が世界経済に占める割合の高さから世界をあらゆる局面に於いて支配する力を持つに至っている。先ずはメディア(マスゴミ、書籍、映像・音声、美術、芸能など)を用いての情報操作や洗脳、各国政府、世銀、IMF等の国際金融機関及び銀行と現行の銀行システム、政策としての3S等を通じての民衆への経済的締め付け(生かさぬよう殺さぬよう)、政治的タブーは殊に大国に於いてその効果を発揮している。その端的な現れが間接民主制という茶番である。日本でこの茶番システムがどのような結果を齎しているかを見れば明らかだろう。沖縄を具に見れば民意が反映されないシステムであることは明確だし、公憤の出易い無作為アンケートによる世論調査などでは、原発反対派が多数派を占めているのが明らかであるにも拘わらず、何ら科学的根拠の無い推進派の目論見が着々と実現されている有様や、閣議決定、強行採決で民意を裏切る法案がどんどん可決されてきた昨今の事例をみれば、主権者たる国民が今も臣民と本質的に変わらない扱いをされ、隷属させられているのは明らかだ。天皇家の民主的意識に関わらず、システムとしての天皇制を政治利用しようとする安倍ら権益受益者は、日本会議と共に我ら主権者の権利簒奪を続けようと目論んでいる。このような政治的状況を暴力を用いずに解決する唯一の革命的方法が直接民主制であると思われるので、終演後出演者らと話をした際提起すると彼らは寂しそうな笑いを浮かべるだけであった。恰も「それは、無理ですよ」との諦念の表明であるかのように。然し憲法を通常通り解釈すれば43条1項の例外規定を除くと存在しないのであるが、一方主権在民を掲げている以上、民意(公憤及び三バンに代表される権力機構との利害を通じた諸関係)の内、公憤は民の持つ理性として充分考慮されるべき重大要素であり、現在の間接民主制では、この部分は反映されないのであるから、キチンとこの部分を反映できる民主的手段としての直接民主制をこそ、提起すべきである。これだけ通信インフラが発達し、かなり安価で使用できるのであるから住民投票をその民意反映の為の手段として利用することは理に適っているし、本来の民主主義の理念にも合致している。かつて世界で最も民主的な憲法として評価されたワイマール憲法下、合法的にナチが成立し救世主と考えられたヒトラーがドイツ人にも他の民族にも惨禍を齎したのは周知の事実だが、この原因は、選ばれたのが人であって、政策では無かった点に存する。だから直接民主制が実施された場合にも、必ず、政策についての民意を問うべきであって、人を問うてはならない。(人を問えば三バン主義の罠に陥ることになろうし、民衆は選ばれた人に隷属することになる)、またここに挙げた直接性民主主義を実行するに当たって、総てを直接投票で選ぶことは余りに煩瑣で実効性に乏しくなる懸念のあることから、重要な件に関して国民の住民投票に掛けて民意を明確にし、その民意に従って議会や官僚が更に下位の法を定めてゆくという方法が良かろう。無論、政治家、官僚が民意に反した場合、罷免、リコール等は国民の権利として保障されなければならない。
     以上のようなことを国民一人一人が自分の問題として捉える為には、国民が事実を知って判断する為の情報公開は不可欠であると同時に、国民各々が己の頭で考える必要がある。また、この程度のことが自分で出来るようにならない限り、永遠に真の幸せも人間らしい生き方も出来はすまい。つまり奴隷である。そして現代の奴隷はキメラ以上にキメラで己を己自身でトータライズすることもアイデンティファイすることも出来ず、何故そうなってしまったかの原因すら己の知・己の頭脳で探ることもできない、何とでも交換可能なモノと化してしまうのである。丁度、原作ではなく映画等で怪物というモノにされてしまった「人造人間」としてのフランケンのように。

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    2019/05/17 13:21

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  •  追記しておきました
    ご笑覧下さい。
              ハンダラ

    2019/05/18 12:05

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