叫べ!生きる、黒い肌で 公演情報 アブラクサス 「叫べ!生きる、黒い肌で」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    物語はシバーナ(ニーナ・シモン)とビリー・ハンズベリー(ロレイン・ハンズベリー)という2人の黒人女性の交流(フィクション?)を通して描いた”反黒人差別”という人間+社会ドラマのようだ。
    内容はドキュメンタリーを観るような重苦しさがあるが、回想手法と劇中歌によって演劇公演としての面白さを観せている。その視点は黒人側であるが、当時のアメリカの状況と黒人が抱いていたであろう感情は分かり易く描けていた。
    できれば、差別行為がもう少し具体(視覚)的に分かると感情移入がしやすいと思うが…。
    (上演時間2時間) 2019.5.13追記

    ネタバレBOX

    セットは段差を設け、上手側にテーブルと椅子、下手側に金モールのようなシャンデリアとピアノ。中央部は店内ステージや楽屋・控室をイメージさせる。舞台はシンプルであるが、それはセットによる物的印象よりも心象形成を大事にしたいとの表れか。

    物語は、1986年から1953年へ遡行し、アフリカ系アメリカ人のシバーナ(Setsukoサン)の娘サラ・ウェイマンが祖母や叔父を訪ね、若かりし頃の母親のことを訊ねるところから始まる。シバーナは、幼い頃から黒人ではじめてのクラッシックピアニストになるための教育を受けてきたが、大学に入れずピアニストを諦め生活のために酒場でピアノを弾くことになる。そこでビリー・ハンズベリー(羽杏サン)と出会い、交流を深めることによって黒人への人種差別反対運動へ身を投じていく。その活動を通して当時のアメリカ社会における人種差別の実態が浮き彫りになっていく。タイトルにある”生きる”は、本人の生き様であると同時に、宿した”命”の生きるにも通じ、将来への希望(人種差別のない)を指すように思える。それゆえ回想シーンによって始まるのでは?

    この公演は、黒人歌手の人物描写に力点を置いたのか、人種差別という社会問題に重点があるのか。もちろん、歌手である前に黒”人”であり、その境遇に不平等があれば改善運動をする。その活動は、その人の生き様であり人格そのものでもある。しかし芝居としては、人の内面心情を描くのか、その人が生きた社会環境を描くのか、その視点・力点によって脚本・演出が異なるのではないだろうか。
    例えば、内面心情を描くのであれば、歌手という職業柄もっと歌うシーンを増やし、場合によってはピアノ演奏も行う。一方、黒人への人種差別反対という社会性を強調するのであれば、もっと虐げられたシーンを入れる必要があると思う。確かにレストランにおける着座の差別シーンはあったが、それ以外は台詞(選挙権なし等)によるもの。視覚に訴えることが出来る芝居の特長をもっと活かしてほしいところ。

    物語の力点は判然としなかったが、シバーナという黒人女性歌手を通して1960~70年代のアメリカにおける人種差別が浮き彫りになってくる。繊細な感情表現、緻密なプロットという細微という丁寧さと同時に、骨太なテーマを据えた力作。役者はキャラクターと立場を際立たせた熱演。感情表現に濃淡がありバランス的には粗も見えるが、公演全体(脚本・演出等)の力強さが役者個々の演技にも好影響を及ぼしていたと思う。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2019/05/12 08:26

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  • ありがとうございます!次回に向けて頑張ります!

    2019/05/19 17:54

    羽杏 様

    コメントありがとうございます。
    毎回、見応えのある公演を観させていただき嬉しく思っております。これからも素晴らしい公演を期待しております。
    また、観劇させていただきますので宜しくお願いいたします。

    2019/05/19 17:27

    ご来場頂きましてありがとうございました。いつも本当にありがとうございます!
    終演後も話て頂きましてありがとうございます。
    丁寧に感想頂きまして感謝です。
    次回、今回を糧によりよくしていきます。これからもアブラクサスをよろしくお願いいたします。

    2019/05/19 12:27

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