クラカチット 公演情報 東京演劇アンサンブル「クラカチット」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    劇団の長い「模索の途上」での新展開を見た感触があった。それだけに小屋が閉じてしまうのが惜しいが、言っても仕方ない。
    「クラカチット」の原作を今回は読んで観劇した(正確には観劇までに読了しなかったが面白さは十分に堪能)。そうした理由は、原作の台本化の仕事を見たかった事と、舞台を記憶に刻みたかったから(知識ゼロで筋が追えないと印象が薄くなる)。その読みが当たったのかどうか、判らないが、面白い舞台になっていた。
    通常制作に名前を連ねている小森明子が脚本・演出(過去演出経験有り)、自作戯曲も書く桑原睦が共同執筆。新作での演出を担っていた公家氏は演出補、出演。保守的に固まらず、集団力を開く方向性に期待感。そして原作・・めくるめくスペクタクルなイメージが1922年という時期に流麗な文字表現になっていた事の驚き。(1916年の米映画「イントレランス」を作者は観ていたかも知れぬ。が最も影響をもたらしたのは第一次大戦の衝撃ではないか。)
    戯曲化は難しかっただろうがよく舞台化した、と素朴に感心した。
    原作も「爆発」から始まる。主人公プロコプがその現場からフラフラと宵闇に沈む人気のない路上に彷徨い出、既に心神耗弱に陥っているが、この火薬専門の化学者が今しがた新型爆弾を固める処理を施して陶器の入れ物に入れた後、机に残った僅かな残り滓が、彼の仮眠中に凄まじい爆発を起こしたらしい事が彼の回想で分かって来る。だが彼の負傷と心理的ダメージがどれほどかが読者に判るのは、さらに続く暗鬱な長い夜が明けてのこと。意識朦朧の中で彼の頭に渦巻くのは、化学者としての探究がついに得た成果への思いと、それと裏腹にとてつもない発明を人に手渡してはならぬという怖れと自責の混濁した感情である。だが彼は懴妄状態の中ある女性と出会い情熱的使命感を沸き立たせる。彼のその後の歩みは彼がクラカチットと名付けた爆薬を巡る「外からの力」と、最初に女性と交わした約束という「内的衝動」の葛藤の物語と言え、それが変遷していく様はそれはそのまま人生の縮図と言えなくない。恋愛遍歴に示される下部構造と、爆薬に絡む「仕事」「使命」「政治」「軍事」を司る思想=上部構造との潜在的な葛藤を思わせ、一義的でない物語叙述に大作家の面目躍如を認めずにはおれない。
    作者は色んな夢をプロコプの脳に登場させるが、これが絶妙に彼の身体のみぞ知る精神状態を反映するようで、そういう部分にも凄みを感じる。
    彼が最初に見る夢は、彼がトメシュという女たらし(学生時代の同じ化学専攻の知己、路上で偶然再会し介抱された)の家で、彼を探すヴェールの女性の訪問を受け、不在の主人(トメシュ)への託けを頼まれた後、彼女が自宅に戻って「物」を持参するまでの待ち時間に見たキャベツ畑の夢である。尋常でない心身状態で彼は女のヴェールの奥に可憐さを認め、痺れに近い感覚を覚えるが、うたた寝の夢にそれが早速現われる。広い畑に並んだキャベツをよく見るとそれはぬめぬめと光る醜怪な顔で、遠くの方にヴェールの女性らしき女性がキャベツに襲われるのを見て助けようとするが、彼の体にもキャベツの手がまとわりついて動けない。身体的危機を知らせるようでもあり、彼女への思いを裏付けるようでもある印象的な箇所だが、アンサンブルの演出は最初の夢の後も、幻視や気分、象徴等の次元の場面で床から数人が顔を出すキャベツ人間を使っていた。
    装置は一面の白。中央正面にアルミ光沢の巨大な細いリング、後ろにも一回り小さなリングが立ち、SFである。原作公表当時での仮想近未来であり、核兵器の発展史を正確に辿っていないから(当然だが)、SFの扱いは妥当。映像も効果的で、冒頭細いリングに色彩のある光が走るのは見事だ(映像の正確さもさりながら、リングが肉眼では完全な円形に作られていた)。
    役者の演技にはアンサンブルらしい生硬さも見られるが、恋愛ドラマでもある本作。柔和さを要する役に引っ張られてか膨らみのある演技もあり、舞台の成功に寄与していた。

    原子爆弾(ある意味そう名付けて良い)クラカチットの存在は科学(者)の倫理的責任を問う素材だが、話の本筋は「ある数奇な人生を送る事となった男の物語」である。原爆投下以後の時代、「原子爆弾」は仮想の話ではあり得なくなったが、原爆と相似であるが同一でない「クラカチット」は前人未到の破壊的発明の比喩・象徴と解釈もでき、近未来ともパラレルワールドの過去とも取れるフィクションが成立する。もっともクラカチットを生み出した誇るべき業績は、畏怖の対象としてプロコプの道程に通奏低音を響かせている。いずれにせよK・チャペックの予言的作品の多義的であるゆえの魅力に、正当にあやかった舞台である。

    ネタバレBOX

    広渡常敏という精神的支柱を失った事が如何に危機的か、という修飾語付きでこの劇団を知った私は、その故人の事を何も知らず、不安の面持ちで船出したであろう劇団の「その後」を十年余観てきた。包括的思想と具現力・方法論を持つ事が創作集団の条件ならば、リーダー亡き後の演劇アンサンブルは才能を見出だし育てる努力と、継承すべき「精神」の内実を模索する途上であり続けた、という事になるんだろう。それ自体ごく自然な姿な訳だが、新進劇団とやや異なるのは、ある種の評価と支持者を持つ集団として既に存在していた事。既存レパの遺産と新作挑戦の両輪が、時にギクシャクと軋みながらも前へと進み来たって今日なおを健在である事を単純に祝福したい。
    競争原理に身を晒しながらも市場原理とは距離を取り、これに信頼して進む劇団である限り、私は見続けて行きたい。

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    2019/04/01 02:48

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  • ありがたい感想を読ませていただきました。
    もしご迷惑でなければ、劇団Facebookやニュースレターなどで紹介させていただきたいのですが、
    いかがでしょうか?
    ご迷惑でしたら、お知らせください。
    よろしくお願いいたします。

    2019/04/05 18:50

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