満足度★★★★
鑑賞日2019/03/26 (火) 19:30
ハツビロコウ初の翻訳劇。
上演台本は松本光生氏だけれど、新訳ということではないらしい。
事前に、①ここでの「ロボット」とは機械仕様のものではなく、有機体であるということ。
②ロボットの反乱を描いた作品であるということ。
くらいの知識しかなく、そもそも三幕構成であることも知らなかった。
「上演台本・演出」とわざわざ書いたのは、意図するところがあって第一幕とロボットがハリー達を襲撃する場面は削りました、という表明なのだろう
第一幕を削ると、人間がロボットと共生していた(ロボットが隷従していた)場面がなくなり、襲撃場面がなくなると、ロボットの登場シーンも大きく削られ、その暴力性も描かれなくなる。(ロボットが向上へ侵入を図るのも、ブスマンが殺されるのも目撃者に)語られるだけだ)
登場するロボットは3体、反乱の首謀者ラディウスと、ガル博士が最後に作った(ということは最も人間に近づけた)プリムスとヘレナのみ。彼らは感情(らしきもの)を持っている。
さて、こうした構成の意図は何か。おそらく、人間とロボットとの境界線をあいまいにし、現代における人間とAIの関係に近しい状況の上で、「R.U.R」を読み替えてみようとする試みなのかと思う。
人間のヘレナが既存の存在として登場するこの舞台(第一幕では、外部からやってきて、感情を除いたロボットの人間との近似性に驚く)では、むしろヘレナ自身がロボットではないかと勘繰ってしまう状況が用意されている。何せ演じる森郁月さんのスタイルとファッションは、他の男達(背広や作業服、白衣といった)の日常性と一線を画しているし、ロボットへの感情移入が際立っているから。
とはいえ、ヘレナがロボットとの平等と共存を強く主張しながらも、同時にロボットの存在が人間を怠惰にして子供を産まなくさせているという推測からロボットの増産を辞めさせようとする(人工生命製造の秘伝書をシュレッダーする、つまりこれは種の絶滅を意味する)姿勢は、大きな矛盾を孕み、そのことが彼女の人間性を担保しているかとも見れる。
そして、ラディウスの粉砕機行きを救おうとしたヘレンでさえも、ロボットたちに殺されるという経緯は、まさに種間の争いの根深さを象徴し、人間とAIの未来に不安を残すだろう。
第三幕の最後に光明が見いだせるのか。ロボットはすでに増殖の途が断たれているのだ。
彼らに秘伝書の復活を期待できないでもないが、100年もかかって作り上げたものを、20年の寿命しかないロボットが1から構築するのは不可能だろう。感情を持ってしまったゆえに、死を恐れるロボットも哀れ。
最後に、ロボットのヘレンは1人2役のはずなのだけれど、役者を替えたのはなぜかな。
バランスを取れるプリムス役がいなかった?(失礼)
目指したと思われるテーマの表現には成功していると思うけれど、役の掘り下げがなされておらず、
役者の力量が高いだけにもったいない気がする。割と成功、やや失敗かな。劇として好きな部類なので。
でも、次回も高い次元で期待しております。
ハツビロコウへは期待が高いので。