桜の森の満開のあとで 公演情報 feblaboプロデュース「桜の森の満開のあとで」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「桜の樹の下には 屍体 ( したい ) が埋まっている! 」は、梶井基次郎の短編「桜の樹の下」の冒頭の一文。その後に続くのが、「桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」。弱き者を切り捨て、その上にある見た目の幸福(美しさ)...この公演そのもののようだ。

    公演は、大学のゼミの卒業をかけた模擬会議。そのテーマは”老人から成人としての権利を放棄させるという条例”の制定の是非を巡る論議である。模擬会議の喧々諤々を通して現代日本の諸政を抉る秀作。
    (上演時間1時間50分)

    ネタバレBOX

    客席はコの字、空いているところには窓、その両側に紐が絡むように張られている。まさしく議論が絡むような。また喫煙場所でもある。この部屋で政治学科タケカワゼミの卒業試験を兼ねた模擬会議<モックカンファレンス>が行われていく。その12人 1幕会議劇は観応えがあった。

    説明文から、舞台は日本海を臨む古い街道都市・安宅市。安宅市が独自に提出した、通称「姥捨山」条例…老人から選挙権を放棄させるという条例である。この条例の是非を問う会議の議論がされるが…。面白いがいくつか気になるところもある。

     テーマとして描く姥捨山条例の解決策。「老人」とは議論からすると65歳以上と思われる。この条例可決とセットで「若者(年齢定義は不明)」に被選挙権を与えない。これによってそれぞれ態度表明の機会が失われること、行動表明が制限されることになり、政治への関心を失わせることにならないか?「政治に答えはない」はゼミ内の常套句のようであるが、今後の安宅市政に誰が責任を持つのか。時代の情勢や状況に応じて最善の施策を施さなければならないのは自明の理であろう。そう考えた時、政治の答えに近づくための施策に責任を持つ者たちは誰か。
     大学ゼミにおける役割は年間を通して同じ。確かにその立場の理解力が深まり、また人物に同化できる。一方、政治学科の学生として色々な立場の経験(視野狭窄にならない)が必要ではないか。立場が変われば見方も違う。何となく政治とは別の意味で成績評価の平等性が保たれていないように思えるが…。

    安宅市のこの種の会議は全会一致で可決という、一見、民主主義のお手本(連帯責任の押し付け)のようにも思えるが、そこに潜む問題が悩ましい。多数決では少数意見(意見表明)が残るが、全会一致では、何時までも少数意見(反対ばかり)を貫くことは難しいように思える。その特異性を国政レベルの思惑で”あるモデル市”にするという発想の提示は鋭い。
    大学授業の模擬会議としつつも現実問題を考えさせ、同時に大学ゼミの成績に直結させ感情と思惑を煽るという巧みな構成は見事。
    次回公演を楽しみにしております。

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    2019/03/22 18:55

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