期待度♪♪♪♪
ものとしての存在が最初であるのは当然のこと。まして自他の差を認識することは対他認識を前提とするから、可也認識を深めなければ至りつかない地平の問題であることも自明だ。だが、一旦対他存在としての自己認識を持つに至った主体の終わりが単純にシンメトリックな対応をしていると考えることもまた勘違いだろう。(たとえば、サルトルとハイデガーの差などだ)認識主体や定義の問題も絡み、問題は別の所にある。まあ、試行錯誤の一形式を楽しむという感覚で拝見したい。
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2019/03/15 21:22
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