オルタリティ 公演情報 TRASHMASTERS「オルタリティ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    最後に舞台に並んだ役者は6人。たった6人だったか・・。二部構成の前半後半で立場や状況の変化した数年後をそれぞれが演じたから「2人分」味わった訳でもあり、人的広がりを想像させるよく書かれた本だという事でもあるか。
    近年のトラッシュの傾向である「議論劇」の(特に前半は典型的に)範疇だが、その議論のあり方としては随一の出来だと思われる。毎回出演とは行かない団員・龍坐の力量も見、川﨑初夏の円熟と滑らかさも見たが客演・樋田洋平の人間臭い役どころは何げに信憑性を場面に与えていた。

    ネタバレBOX

    アウフヘーベン即ち成長して行く中津留戯曲が、今回辿り着いたと見える場所は、容易に正解を出せない問いに最後まで解答を出さなかった事、だろうか。唯一人理性に従う(西欧的自我を重んじる、と私には見えた)龍坐の役は、空気読めない奴と疎まれながら、頼り甲斐もある(があまり感謝されない)特徴的な役どころで、修羅場となる後半では主として彼と彼以外との潜在的対立があり、問題のありかを掘り起こすようなやり取りがある。それを議論のための議論でなく状況に即した対話に書き切った事が今作でとりわけ評価したい部分だ。
    龍坐の役の言動は、現在日本を没落へと導く、戦前と変らぬ為政者(や役人や財界)の体たらくを鋭く批評する視点を提供するもので、正論を提供してはいたが、その位置をも新たな状況によって揺さぶり、問い掛ける。
    ただし(先ほど「正解」を出していないと書いたが)終盤で龍坐が予言のように呟く人間の「弱さ」についての洞察は、実証されたように描かれていた。これはラストの「愛」についてのやり取りを恐らく呼び込むためのもので、こういう部分が中津留氏らしい筆致と言えば筆致。別の書き方もあったろうと言ってみても仕方ない。
    この舞台の言外の声が、こうしてここまで極限状況を想定し、現前させた舞台を君は客観的評価だけして終わらせるのか、それで良いのか、と言っているように思える。「ひかりごけ」という小説が半世紀以上前に我々に究極の問いを投げていたが、今改めて問われてやはりたじろぐ自分がいる。

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    2019/02/27 04:16

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