満足度★★★★
演劇の国際交流、さらに共同制作と言うのは本当に難しいものだと思う。ことに、演劇のマーケットを共有していない国とは、とっかかりを見つけるだけでも大変だ。
これは、その難しさがモロに出たマレーシアとの国際共同作品だ。日本とこういう企画が進んだ経験がないのだろう。まずは観客にマレーシアの飴を配って、両国の紹介みたいなことから始まる。納得しやすいと言う事かもしれないが、日本の国際的に知名度のある作品を演目に選ぶ。安倍公房「PAMIC」と深沢七郎「楢山節考」の二本立て。
「PANIC」の方は、マレーシアの俳優が主演で、演出は日本。舞台言語は英語、中国語(マレーシア語)日本語で、三ヶ国語の字幕が出る。前説で、身体言語でやるから、言葉はあまり必要ないと、念を押されるが、この小説は、言ってみれば、不条理劇の世界で舞台に上げて見るとそこはよくわかる。しかし、条理の部分は身体だけでは説明できない。出来たとしてもうすいものになってしまう。台詞がかなり重要な部分になる。やむなく、観客は字幕を見ることになるが、これが三か国語で(全く分からないマレーシア語の部分は字幕に頼らざるを得ない)煩わしく、次第に気分が舞台から離れていく。
マレーシアの俳優は柄も作品によくあって、うまいし、演出も小道具のトイレットぺーパーを上手に使っているが、ご苦労様と言う以上の演劇体験にはならなかった。45分。
続いて「楢山節考」。こちらは日本人俳優・演出だ。大小の白い木枠を持った俳優で場面を作りながら、ほぼ、原作通り。1時間20分。テキストにあまり手が入っていないだけに、この原作の力強さがナマで伝わってくる。俳優のガラが生きたのは、若い嫁くらいで、若い女優がやるりんも、ほぼ彼女と同年齢に見える辰平も、柄を越えて作品を生きて、観客をひきつける力がある。国際的に高い評価を受ける原作だけのことはあると改めて思った。この枠を使うという手法はどこかで見た記憶があるが、そのシンプルさを生かした振付・演出は成功している。ほかに音楽がうまい。曲も説明的のようで、そうでもない、という微妙なところでうまく抑えている。
しかし、二作ともに、国際共同制作という枠のために犠牲を払っている部分も大きい。PANICは言葉でつまずくが、楢山節考は状況説明を紙芝居でやる。この紙芝居でも、前説でもしきりに現代との接点を説明しようとするが、それが非常に浅い理解でこういうものなら邪魔になるとさえ思う。例えば、権力者と言うので英国女王を出してみたり、作家と総理は同じ安倍でも違う、などという「解説」はあまり面白くも、愉快でもない。PANICのほうは、現代の失業者問題につながるところがあるし、楢山は普遍的な老人問題につながる。紙芝居で、現代の建売のような農家の絵で、農村社会時代の日本を解説する必要もないだろう。
この劇団は初見で、マレーシアにつられて見にいったが、結局マレーシアそのものについても新たに発見がなかった。このよく知らない、しかしこれからは労働者から交流が深まりそうな国と人をもっと知りたいものだ。