トロンプ・ルイユ 公演情報 パラドックス定数「トロンプ・ルイユ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    2015年末pit北/区域の閉館公演「東京裁判」が初・パラドックス定数。この劇団と劇作について3年近くブー垂れてきた訳だ(まだ3年のような、もう3年のような)。
    政治色の薄い題材では、罪がなくキメ台詞のうまい書き手である。本作は地方競馬が題材だが、競馬界にリアルに食い込もうとしたドラマというより、競馬界に舞台を借りたヒューマンドラマで、一般的なだけ観客の想像に委ねる部分が広い。
    男優6名ともが人間と馬の両方を受け持ち、双方同じ比重でキャラも重ねているのが面白いが、暗転は少なく明るい中での照明変化のみで「馬場面」と「人場面」の移行を表し、関係性がほぼ把握できた後半では合図もなく人から馬、その逆と居ながらにして変化する様も滑らかだ。しかもストーリーは進展しており、役者それぞれ決まった人物と馬名を受け持つので、物語説明の順序も考えなくてはならない。さぞかし、、戯曲の神様は我に味方したと思い為したろうなどと作者の心を想像したほど「待たせ」の全くない進行だった。役者力も重要だが(特に馬の風情がよい)緻密な演出を印象づけた。
    現代の精神風景を想起させるような台詞(差し馬のウィンザーレディの「人は俺みたいな馬に自分を重ねてんだ」といった台詞)も一瞬光るが、現実世界に着床させようとの意図までは恐らくなく(格差を容認する新自由主義的状況が抉られる事はなく)、むしろ中央競馬と地方競馬の「格差」や悪条件の中でも果敢に挑戦する勇姿にスポットを当て、精神的な成長と連帯(友情)といったハードボイルド路線の爽かなハッピーエンドに着地する。

    自分は競馬の知識はあまりないが(付き合い程度に競馬新聞を覗くくらい)、舞台とされる「丸亀競馬場」や遠征先の尾道、横浜根岸での地方競馬開催は現在なく、これはフィクションと割り切る事ができた(瀬戸大橋が出たりするので遠い過去でもなく、また人物の言動からも競馬のバックヤードを厳密に描き出す意図はないとみえた)。
    ただ、事実と架空の領域の塩梅は戯曲の「質」を左右する。実在の地名を使うのも良いが、中途半端だと同作者の歴史事件を扱った劇同様、「事実性が持つ箔」を、都合よく利用したと見られかねないだけ損である。
    まあドラマの方も、馬の擬人化など私は許せるが(というよりそこがこの戯曲の魅力)、「馬は何も考えてない」と言い切る牧場主や、レース中に転倒した馬が再び巻き返すというアニメ的展開など諸々あるにはある。

    が、私の中では、人と馬との精神的交流が「ある」との想定で書かれたこのドラマの終局に、「人間目線」の場面描写の中で人(調教師)が馬に語り掛ける場面、出来過ぎではあるがここに込められた包摂の心とでも言うべきものを私は受け止めた。レース馬は治らない負傷を被れば殺処分されるという、そのシーンもうまく組み込み、思えば人間同士の殺伐とした世界に動物同士の世界というもう一つの(オルナタティブ)視点が入る事により酷薄な世界が違う陰影をみせる。これが豊かさでありファンタジーの効用である、といったような事を言ったエンデの事を今思い出した。

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    2019/01/16 03:30

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