満足度★★★★★
【一回目】1/11 13:30「わたし」=桜井玲香、ダンヴァース夫人=保坂知寿
【二回目】2/4 13:30「わたし」=桜井玲香、ダンヴァース夫人=涼風真世
原作は1938年のイギリスのダフニ・デュ・モーリエの小説である。1940年にはヒッチコック監督で映画化されアカデミー作品賞を受賞した。この映画は1月2日にTOKYO-MXで放送されたのでご覧になった方もおられるだろう。
あらすじ:
天涯孤独の「わたし」は小間使いをしてなんとか生計を立てていたがあるとき妻を亡くしたばかりの大富豪の貴族ド・ウィンター氏に見初められ結婚する。ド・ウィンター邸は「マンダレイ」と呼ばれる豪邸であった。そこには大勢の使用人がおり、家政婦頭のダンヴァース夫人は前妻「レベッカ」が実家から連れてきた厳格な人であった。屋敷にはいたるところにレベッカの影響が残り、人々もレベッカをほめそやすばかりである。何とか存在を示そうとする「わたし」だが、ダンヴァース夫人の策謀で大きな失敗をしてしまう。夫人に責められて窓から海に身を投げてしまいそうになったそのとき船の座礁を知らせる警報が鳴り響き、そこから事態は急変して行く…。
このミュージカルでは普通のミュージカルよりソロパートで歌う人の数が多い。そして皆さん呆れるほどうまい。たとえばド・ウィンターの姉のビーはそれほど重要な役ではないが3回も長いソロがある。ここに宝塚出身の出雲綾さんが配されていて堂々とした歌声でこの後で何か大変なことをするのではないかと錯覚してしまうほどだった。正確にはトリオ、ソロ、デュエットの3つの歌でソロのパートが多い。
この物語の影のそして真の主役はダンヴァース夫人である。彼女はレベッカの分身なのだ。
【一回目】保坂知寿さんの圧倒的な歌唱力と存在感はこの劇全体を支配していた。出来栄えには保坂さんご自身も大満足だろう。
【二回目】涼風真世さんのダンヴァース夫人も保坂さんと同様歌唱力も存在感も圧倒的である。回数を重ねた分だけ怖さが増していた。ただし、屋敷が燃え落ちるときの高笑いが可愛らしくなってしまったのはやや減点か。
ド・ウィンター役の山口祐一郎さんは安定の歌声、ただし強引に歌をねじ伏せる印象を持った。またレベッカを回想する歌は説明の言葉が多すぎてちょっと同情してしまった。【二回目】前半では小さな声が安定していなかった。
森公美子さんの上手すぎる歌と余裕の道化は単調になりそうな物語にポップな色合いを与えていた。【二回目】ではアドリブでさらに笑いを増やしていた。
セットの変更を伴う場面転換の回数も最近では珍しいほど多い。何か驚かせるようなものではないが適切なセットが丁寧に作られ雰囲気を醸し出している。たとえば重要なアイテムである屋敷の窓は手抜きをせず舞台の天井まで届くように大きく作られている。衣装も抜かりはない。「わたし」は着せ替え人形かファッション雑誌のようであるし、仮装舞踏会でも昔の貴族の服装を惜しげもなくおごっている。
さて本作は乃木坂46の桜井玲香さんの本格ミュージカルデビューとしても注目されている。誰もが「大丈夫なの?」と心配することだろう。そんな心配の裏をかくように、この劇は彼女の歌から始まる。若く、そしてほのかな哀愁をまとった声が観客の心をつかまえるには4小節も必要なかった。すぐに皆このミュージカルの成功を確信したのであった。TVで見る桜井さんは大きめの眼鼻口が乃木坂46的ではなく少し浮いているのだが、舞台ではそれがプラスに作用し、素晴らしく良く映えて見える。演技も歌もたたずまいも華があり、乃木坂46の中でも将来一番伸びるのはこの人ではないかと予感させるのに十分であった。
このミュージカルで超絶歌うまの皆さんに揉まれていれば桜井さんも大化けするだろう。意外にもビブラートは合格点なので当面の課題は声量である。
【一回目】ダンヴァース夫人とのデュエットではすっかり負けてほとんど聞こえない。夫人が抑えて合わせれば良いのにと思ったが、目標を設定しての愛のムチ(死語?)なのだろうと納得した。もちろん私は目標達成を見越して来月初めのチケットも確保してある。
【二回目】でも桜井さんの歌は全く変わっていなかった。あまりにも同じなのは演出から歌い方を厳しく決められているのだろう。デュエットの音量のバランスが良かったのはPAの調整が上手くなったのと涼風さんが控え目に歌っていたためだと思われる。
ミュージカルファンには絶対のお勧め。自然にスタンディングオベーションの気分になること請け合い。85分+20分休憩+85分?
【二回目】には男性の割合がかなり増えていて、途中休憩の男性トイレの列が廊下から舞台上手まで伸びていた。シアタークリエでも他でもこんな状態は見たことがない。桜井さんの千秋楽だからなのだろうか。乃木坂おそるべし。