満足度★★★★
こういう手もあるかとは思った。
話は前の東京オリンピックのマラソン走者・円谷と君原のオリンピックを戦った後の、次のオリンピックまで。円谷は重圧で自死し、君原は我を通してメキシコでは2位になる。円谷遺書がよく知られているから、おおよそのことは皆知っている。50年前、当時のことだからパワハラもあったし、無責任ジャーナリズムもあった。
それを改めて今、舞台にかけるというのは、オリンピックが近いとか、スポーツ界のスキャンダルがあるとか、時勢を見てのことだろう。
しかしこれほど舞台に不向きな素材もない。42キロのロードレースをやるわけにもいかないし、円谷は自衛隊員、家族は確か30人ほどもいたはずである。遺書はその家族一人一人の名を記したところが泣かせ場のクライマックスだから、どうする。二人のランナーは気質も違うし場所も東北と九州。パワハラも自衛隊と八幡製鉄(新日鉄)だから、ありようも違う。映像は、オリンピック委員会の規制がかかっているから使えないし、ドラマにして、丁寧にやっていたら、時間はともかく、経費はどれだけあっても足りない。
そこを、この舞台は二組の選手とコーチ、ひとりの記者の五人の出演者のノーセットドラマでやってしまう。一種の証言ドラマ、記録ドラマである。朗読の変形と言ってもいい。五人のそれぞれの立場からのほとんどモノローグの中身なのだが、時折芝居になる。下手にやれば、寒々しいだけなのだが、これは事件の面白さで2時間は持つ。作演出は要領もよく、注文仕事を良くこなしてはいるのだが、うわべをなぞっただけという印象は拭えない。役者への注文もほどよかったようで、余計なことをしていないのでまとまってはいるが、この話は本来まとまりきれなかった男の話だから、限界がある。
それにしてもこの、当時の流行歌のようなタイトルは興業元らしいと言ってしまえば、それまでだが、もっと今風に考えないと、客は来ないよ。