パパは死刑囚 公演情報 劇団チャリT企画「パパは死刑囚」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    劇団色を決める役者、というのがある。例えばあひるなんちゃらの篠本+根津。旧・野鳩の佐伯。ナカゴーの川﨑+高畑+篠原(いやここは全団員だ)。そしてチャリT では内山奈々+熊野善啓という事になるだろうか。特に意図していなかったがどれも<笑>系だ。看板俳優とも違う。常に客演者の中にあって舞台を支える演技に長けたベテラン俳優も、必ずしも当てはまらない。ふと思い浮かんだのが燐光群・猪熊氏。思えば多くの<笑>のシーンを担ってきた。
    逆に、例えば劇チョコの特徴的な三俳優は、演技力もキャラ立ちも十分だが、如何に「役」になれるか、人間を演じられるかが優れているという評価になる。役者の身体的特徴は(声も含め)個性であって演技にも個性は当然生かされるが「色」にはならない、というのも、「なる」演技の結果、我々は「なった」人物を見、人物を通して物語を味わう事になるので、観客の目の前にその個性が立ちはだかる訳ではない。そういう自在さ(ニュートラルさ)こそが役者には求められると昔から聞くが、<笑>の場面では客は「人物」でなく役者その人自身の中におかしさを見ている、という構図になるのだろう。毎度お馴染みの吉本新喜劇の芸人はその典型だが、、当り前な話を随分しつこく書いたような。
    チャリTはある社会事象やテーマを咀嚼し、多角的に検証する知識・情報を踏まえて、これを良いあんばいに噛み砕いてお芝居で説明する技術に長けている。作者樽原氏は知識を踏まえ、決して押しつけず客観的知識や多様な見解を嘗めつつ、問題を炙り出す展開を書く。そして熊野は、シリアスとおふざけが混在したような二枚目寄りの風貌を武器に、「問題」に翻弄される主人公を、内山は背の高さと声・滑舌のアンバランスといったおかしみを武器に平然とコンサバ、保身、無思想で風見鶏な庶民の役どころをやって、楽しませてくれる。
    もう少し<笑>について。
    笑いを生む要素はざっくり言って二つあると考えられ、一つはドラマが描く「人物」の行動や他者とのすれ違いなどドラマ即ち脚本に起因するもの、今一つは役者本人の持ち味・特徴、ナンなら観客が「その人自身」と見えているそれ、である(「劇団色を決める俳優」の持ち味)。

    さて今回は死刑制度、と予想のつくタイトルだが、話のほうは一直線にそこに向かう訳ではない。とだけ書いておく。
    私の知る限り(3~4本)のチャリTとしては、劇場も大きいが芝居としてもNLTと並べて遜色ない?喜劇舞台で、その合間にチャリTらしさが見え隠れし、最後にその本性を出した。・・そのように観た。
    「問題」は重く、このような讃辞はそぐわないが、拍手物だ。目の前にハッピーエンドへの道があり、芝居的にはもう逸れる訳に行かない道程を辿った末、どう「問題」をあぶりだすのかと期待。チャリT的まとめが待っていた。グロいと言えばグロいし生ぬるいと言えばぬるいのかも知れぬ。
    私らは問題を「突きつけられている」。例えば2017年7月刑が執行された再審請求中のN死刑囚、彼は冤罪の線が強いとささやかれていたとか。再審請求を受け入れた結果判決が覆えるなどという前例を作られては困る官僚(組織)の都合によって、、と憶測されている。
    ちなみに法務省側は、「刑の引き延ばしのための再審請求には厳しく対処を云々」とコメントしたという。
    「お上」に住まう人らの目には、不遇(受刑者となった事)にある人間は「不正をする人間」だと映るのか・・と言いようの無い怒りが湧いて来る。
    芝居のラストについては、恐らく正解などないのだろうが、私は程よき所に収めた、という感想である。

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    2018/10/14 04:17

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