蜜柑とユウウツ~茨木のり子異聞~ 公演情報 グループる・ばる「蜜柑とユウウツ~茨木のり子異聞~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    往年の・・と名付けたくなる演技と、舞台と。古式ゆかしさをどのあたりに感じたかは今定かに思い出せないが、元を辿ればそれは彼の地より輸入した「近代劇」、これを日本人のものとして一時代を成した往時を憧憬したような。る・ばるを構成する三女優の出自という事なのか、演出マキノ氏の恣意か。テキストは相変わらず長田女史の文学調の筆致だが、「幽霊」を介したドラマ構造に喜劇性があり、面白く見られる。ただ、にも関わらずシリアス味を欲する演技が新劇を思わせる。
    茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」を、最もドラマティックに聴くためにこの劇が作られたと、そう言って過言でないと思えた前半。そして後半は人間茨木のり子の精神の軌跡、歳月にして長い期間を約めて書き流した感じがあったが、上演時間が延びても「老い」との葛藤と、そこに韓国語がどう位置付けられるのか・・(そこまでやると大変混み入って来そうだが)突っ込んでみてほしくはあった。茨木のり子に詳しくない一人の感想として。

    ネタバレBOX

    公演2日目、3年経っているとはいえ再演らしからぬ硬さのわけは何だろう・・?、と後で調べると、再演から参加の俳優が二名。そう、彼は発語が感情を込めようとする程ウィスパーになるように見受ける役者だが、全体にも声量が下がっていく影響を与えていたような気が。
    劇は全体にコメディを基調として瞬間的シリアスの効果を狙いたい、という戯曲ではないかと思いつつ観ていたが、笑いが思うような放物線を描き切れずに落下し(ドラマ進行は止めておらず怪我はないのだが)、勿体ない。
    もう一つ、随分の間を取ってのオーラスの一言。これは長田女史も頭をひねった事だろうが、今回のテイスト(初演は見てないのだが)、そして3・11からの時間の長さ分だけ唇寒くなる種類の語句・・私は書き換えて良かったのではないかと感じた。いや、敢えてそのままにしたのかも知れないが、「立ち向かう」という時、「何に」向かってであるのかは名指さねばならないのではないか。数年前と違って、、靄の向こうに隠れ見えなくなりつつあるとき、的を指示してそれに「立ち向かう」としなければ、内実の無い言葉となりかねない、そういう2018年の「今」ではないか、と。
    「寒さ」は擬人法で蜜柑の木に語らせるにしても樹木の役割のイメージには遠い事、にも因るか。せめて木の「意志」が屋台崩しばりの激しい動きで示される等あれば、「芝居の嘘」は好感をもって受け止められたのでは、とか。
    芝居を観客に繋ぐ部分だけに、そこは反芻してしまったような次第。

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    2018/09/18 02:47

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