ランチタイムセミナー 公演情報 劇団ジャブジャブサーキット「ランチタイムセミナー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/06/24 (日)

    観客が事件の大筋を知っている前提なのか、説明的台詞があまりない。知らなければ、会話の中の断片的なピースを…パズルを解く様に繋ぎ合わせていく感じになるが、むしろそれも一興。…逆にそれが本来の楽しみ方かも…。

    逆に史実を知っていると、あまり謎が拡がらなくて想像の余地がないきらいもあるのだが、さて、この事件をまったく知らない若い世代には…この作品はどう映ったのだろうか…というのは素朴な興味です。

    既知・未知いずれにしても、公私に広く及ぶ思惑を想像させる「不明瞭な会話」が交わされる中、非日常の緊張感と日常ののどかさが交錯する空間が拡がる…非日常の中の日常… 日常の中の非日常が…相互に際立つ。 …そこに暗躍する…「思わせぶりな態度/行為」の数々が想像を掻き立ててくれた。

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    ネタバレBOX

    (続き)

    史実はあっても、誰が何を知っているはフィクションだ。青木大使や近藤がやけに意味ありげな存在感を示すのに、結局事件の進行に関与していなかった結果には楽しく騙された。

    最も大きな後味として「行為と…それを行う人物の人柄が必ずしも一意にはならない社会・政治の難しさ。人柄そのままでは生きられない… 抗えぬ社会背景」というものがじんわり伝わってくる。
    その最たるものがMRTAのリーダー・セルパのチュー事件と…ひた隠しにされていたコッテコテの大阪弁。おそらく本作一番のフィクションと思われるが、後藤さんの…怖さと温かさが同居する演技が本当に好み。(笑いとシリアスのバランスに苦心されたと伺いましたが、さもありなん。)

    勿論テロが許される筈もないが、それを成すまで追い詰められた社会背景は察して余りある。しかし、志を同じゅうせずとも共存できる… 石嶺に対する「ドウシではないが、ダチだな」というセリフが、彼の本来のメンタリティを窺わせる。それが転じて…セルパの共存を許さなかったペルー国家の何かを暗喩する。

    終盤の山場、長い「暗転」の中での救出作戦(史実でのチャビン・デ・ワンタル作戦)は、1ヶ月前のフラジャイル・ジャパンを思い起こさせましたが、救出後、半年経ってから山崎書記官が漏らす「喪失感」は、まさしく地震や津波によるソレであり、「一瞬で消えた日常」という観点で同様に括れる印象を持てるのが意外だったし、非日常が日常になっていた人間の皮肉な慣れにも想いが及ぶ。

    そして石嶺の「無力感」からの脱出も印象的なポイント。公邸跡に脱出後も数度来ていた石嶺が…何故このタイミングで初めてセルパ達の亡霊を見るのか…時間の経過が石嶺にもたらすもの…セルパ達を救えなかった無力感に苛まれていた石嶺が…この経験を時間を掛けて消化して…次のステップに進んだ今だからこそ…亡霊(現実)を見ることができたのではないか。
    その意味でも被災後のメンタルの克服に類似する空気があった。

    作劇で1つ疑問に思ったのは「リマ症候群」の扱いです。

    リマ症候群…「監禁者が人質の教養や優しさに触れて、人質に親しみと敬意を持ち始める現象」は、この事件を代表する現象としてよく取り沙汰されるが、本作でのその描写はあくまで「監禁者と人質の親交の表現」に留まる。岸とサキの話…(絵の才能を褒めた話)やランチタイムセミナー等への相互参加は記録に残る実話相当だが、一番センセーショナルに語り継がれる… 救出作戦に対する応戦で「MRTA隊員が人質を撃てなかったエピソード」は描かれない。安直かもしれないが、…一番感動を誘いそうなところに敢えて触れない。

    「支配者層への批判」という観点でも、救出作戦部隊が「投降したMRTAメンバーも殺害した」という話は出てくるが、あまりフォーカスされない。セルパと石嶺の言葉の中で語られるだけで、それに共感を誘うような根拠を伴う描き方はしない。

    それを見せ得る時間帯は、全て「暗転」の闇の中… 銃声の中… だ。

    そのいずれよりも「日常の喪失(本当は非日常なはずだったのだが…)」を描くことを重視したということなのかな。…終わり際の心象は「震災テーマ」の芝居の味わいに近かったとも思える。

    初演からどの程度変わっていたのかには興味津々なのだが、当時でも阪神淡路大震災は経験しているのだから、そういう重ね合わせあってもおかしくないのかな…。

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    2018/08/18 01:00

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