満足度★★★★
蓬莱竜太の新国立書下ろしは二作品あった(『まほろば』『エネミイ』。忘れていたがどちらも観ていた。『まほろば』は再演で)。
宮田慶子芸術監督としての最終演出作という事で、「大味にならないかなァ」と一抹の懸念を抱きつつも(それで人を誘うのを躊躇ったが)、初めて目にする「誰も並んでいない」10時のチケット窓口で当日券を購入。
繊細な蓬莱戯曲と宮田演出の相性は悪くなかった。逆に、ナイーブな台詞で互いを刺し合い液状化する家族の劇は、新劇風笑いのテイストが良い具合に相殺して「ちょうどよく」なったかも知れない。
東京で演劇を続けている主人公は「公共劇場で上演される舞台の戯曲の執筆を依頼された」と、家族に告げる。十数年ぶりに訪れた実家には兄、妹も来て、独特の歓迎ぶりである。家に寄りつかなかった主人公への文句か嫌味か、はたまた純粋な質問かが口から放たれ、家族でない唯一の人(主人公が連れてきた恋人=女優)に聴かれることも厭わず感情が露わになっていく。応戦する主人公との言論戦は当初の「いささか粗野な挨拶」から離陸して次第に本音合戦となる。
蓬莱の台詞はどこまでも、台詞が足されるたび実在しそうな人格が輪郭を露わす補助的な役目を果たしている。ドラマをドラマティックにするための台詞というよりは、最もドラマティックであり謎である「人間」に新たな陰影を加えるためのものだ。・・とベタ褒めしたくなる程、人間本位の戯曲を書く人だと近年益々思う。
屋内の広いリビングに母、父、長男、妹、自分、恋人。そこから戸外に出ると、波の音がしていた。主人公と恋人が会話する場所として2,3回使われる、ただそれだけなのだが、設定を海の近くとした。恐らくは蓬莱氏が十代を過ごした能登半島のとある町なのだろう。終幕、背景にうっすら陽光が滲む程度のどんよりとした雲がホリゾントに映る。これも恐らく日本海の空だ。ドラマの骨格に関わってこないので、台本指定ではなく宮田演出の計らいだろうと思う。演劇人という設定といい、この芝居は蓬莱氏自身が濃く投影されたドラマである。
家族環境は特殊でも、1つずつを見れば誰にも起きる普遍的な人間の姿であり、あり得る心のすれ違い。孤独。人間の業。そして、罵りあう事の根底にある繋がり(これを否定すべきなのか肯定すべきなのかは分からないが)。
当日は学生の集団観劇、席の4分の3は高校生?の制服が占めていて圧倒されたが、観劇中そちらが気になった事は一度もなかった。終演直後、「すげえ」・・学生が言うのが耳に入り、心中ホッと安堵する。若い人達に良い演劇との出会いをしてほしい。