ヘッダ・ガブラー 公演情報 シス・カンパニー「ヘッダ・ガブラー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    こんなに客席が笑う「ヘッダガブラー」は初めてだ。今現代劇をやらせればトップクラスの俳優を並べた久しぶりのヘッダガブラー、大劇場の大公演である。こういう座組みは、よかれあしかれ、今や、シスカンパニーにしかできなくなった。
    客が笑うのは、もっぱら、人物と場面のずれと言ったところだが、今まではそういうところは人物が孤立していく悲劇的シーンだった。つまりは、資本主義時代を迎えて崩壊しかけている前時代のモラルの中で、行き場を見つけられない人々を描く悲劇、ことに女性の悲劇、が今までのヘッダガブラーである。
    いつものように栗山演出は行儀よく、場面を重ねていく。演出の意図に、お互いに理解しあえない人々、はあるだろうが、笑わせようという意識はなかったのではないかと思う。しかし、寺島の行き場のない勝手次第のヘッダにも、夫の小日向の場の読めないオロオロぶりにも、段田の判事のセクハラにも客はよく笑う。それは時代の反映だから仕方がない。
    劇中、、現実妥協派の水野美紀が役がもっとも時代に近いせいか、この曲者ぞろいの配役に埋もれず、生き生きと演じて、大健闘だった。

    ネタバレBOX

    悲劇の結末となる寺島の自殺も、池田成志の死去も、この観客にとってはタダの話の終わり、のようだ。舞台としてはよく出来ていて、隙のない芝居つくりではあるが、私は、そろそろ、イプセンに始まる近代劇が大劇場で多くの観客を撃つのは難しくなったな、と感じた。今まで見たヘッダガブラーでは、ベニサンピットのデヴィッドルボー演出の佐藤オリエのヘッダが印象に残っている。近代社会で孤立して死に向かうヘッダがよく描かれていた。あれからもう三十年は経っている。これからも小劇場で見るイプセンは、芝居の組み方のうまさは格別だから、一種の古典としては残っていくだろうが、この公演は大劇場版の挽歌のようにも見えた。

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    2018/04/26 11:54

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