満足度★★★★
二十世紀文学の代表作の近未来SF、多くのデストピア小説の元祖的な作品である。この小説、イギリスでは、誰でも知っているが誰も読み通せないという小説だそうで(文庫解説)なるほど、仕掛けがたくさんあってムツカシイ。しかし、この劇化にあたっては、そこをうまく利用して舞台化、世情がきな臭いこともあって、イギリスで大当たり、ついでアメリカでも当たったと言う事で急ぎ、政情不安、小説そっくりの北朝鮮もみじかにある我が国での上演となった。
原作は1946年に書かれて、ほぼ四半世紀後のデストピアを描いている。今は2018年。小説の世界は固定しているから、かつて未来であった世界は今となっては過去、SFの世界が時代劇の世界になっているという奇妙なことになってしまった。もちろん舞台設定の時代を過去にして未来のデストピアとしても芝居は作れるが、この作品は一ひねり。小説の最後でさらに未来を予測してそこで使われる言葉(全体主義のための二重思考の言語、ニュースピーク)の解説が書かれているが、さらに未来にその言葉によって、この1984年という本を、人々が学習する、と言う枠を作っている。これで、SF的な物語の構造が落ち着いた。
この枠の中で、かなり忠実に手際よく原作の物語が進行する。しかし、映画でもないからデストピア社会を大セットで組むわけにもいかず、原作の全体主義管理社会の中で出会う男女のラブスト-リーが、ほとんどノーセットの舞台で演じられる。
演出は今秋から芸術監督になる小川絵梨子。せっかく時宜タイミングよく、全体主義志向の政府下の公演(それで英米でも話題を呼んだ)なのに文化庁官僚への忖度か小劇場風に小ぎれいにまとめている。時代感覚がないから客席もわかない。これでは井上芳雄ファン以外に客は広がらない。秋からのラインアップも発表されているが、エエッツと言う小粒な作品が並んで、全方位的な抱負は殆ど反映していない。官制劇場のヒラメ監督でなく、国民の方を向いてくれないと、公務員だけが観客ではあるまいし、先が思いやられる。