赤道の下のマクベス 公演情報 新国立劇場「赤道の下のマクベス」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    戦争は大多数の「普通の人」が行ってきた。
    なぜ彼らはそれを実行したのか、誰が、何が、彼らをそうさせたのか、観客は考えなくてはならない。答えが出なくても。
    それが次の戦争につながらないためにも必要なのではないか。

    (以下ネタバレBOXに書いています)

    ネタバレBOX

    1947年、刑の執行を待つBC戦犯の死刑囚が収監されているシンガポール・チャンギ刑務所。
    そこには泰緬鉄道建設のためにイギリス兵捕虜を収容していた収容所の看守だった朝鮮人軍属と日本兵、彼らのかつての上官、ニューギニアで戦っていた下士官がいる。

    彼らがなぜ死刑囚になってしまったのか、の問いかけは重い。
    観た者はそれを考えなくてはならない。

    この作品の優れているところは、「誰かのせいにしない」ところではないだろうか。
    つまり戦争責任がどこに(誰に)あるのか、というところに向かいがちな物語を「個人の問題」として示したことにあると思う。

    彼らが死刑囚になったことの理由には、当然「戦争」があるのだが、その戦争はどうして始まってしまったのか、の答えは「自分が自分にとっての最悪の選択をしてしまった」という朝鮮人軍属・ナムソンの台詞に重なる。
    マクベスは3人の魔女にそそのかされたが、戦争をそそのかした魔女はどこにいるのか、外にいるのか自分の内にいるのか。両方にいるのか。マクベスのように。
    観客はナムソンの言葉をそのままにしてしまってはいけないのではないか。

    すべての登場人物がそれぞれの背景を持っている。
    朝鮮人軍属たちも家族のために志願した者や半ば強制的に連れて来られた者もいる。
    日本兵も朝鮮人軍属たちに暴力を振るっていた大尉もいれば、文字の読み書きもできないような兵隊もいるし、ニューギニアで過酷な撤退をしてきた下士官もいる。彼らの想いはさまざまであり、そのさまざまさが、日本が行ってきた戦争の一面を見せる。

    無実を主張する日本兵は実は凄まじい拷問を「見ていただけ」だと言う。それは無実なのか。
    上官に命令されてやったことであるという朝鮮人の軍属には罪があるのか。
    はずみで村長を切りつけて殺害してしまった下士官の男はどうなのか。

    戦犯の1人ひとりが悪人ということではない。普通の市井にいる人たちである。親もいれば妻も子どももいたりする。
    その大多数の「普通の人」の彼らがしてきたこと、なぜ彼らはそれを実行したのか、誰が、何が、彼らをそうさせたのか、観客は考えなくてはならない。答えが出なくても。
    「誰が」「どうして」「なぜ」「なぜ」「なぜ」の問いは続く。その問いを考えることが次の戦争につながらないためにも必要なのではないか。
    したがって、とても苦しい作品である。

    この作品ではチャンギ刑務所の様子もきちんと描かれている。
    日中は雨だろうが、太陽が照りつけていようが独房の外に出される。食事は2回。朝はビスケット2枚とお茶。夜はおかゆのようなものだけ。しがって収容者は常に飢えている。
    連合軍看守による刑務所収容者への暴行は日常茶飯事。しかも弱い少年兵のみを夜中に集中的に暴行するという陰湿さ。

    最も驚いたのは、セットの仕様かと思っていた、独房と死刑台の近さ。
    実際に処刑執行される音が収容者たちにしっかりと聞こえたほどの近さだったらしい。

    こうしたことが勝者である連合軍看守たちの「報復」として行われていたという。
    こうなると「誰が」「何を裁いた」のかがわからなくなってしまう(そもそも「戦犯」とは「何なのか」ということもあるのだが)。

    そのあたりも単なる戦争責任を追及するだけの作品とは違うところではないか。
    人を殺すことが正当化される戦争はそもそもが歪んでおり、そこには正義はまったくない。戦争が終わっても。

    作・演出の鄭義信さんの父親は旧日本軍の憲兵だったことで、戦後「対日協力者」として村八分にされたこともあるという。その鄭さんが描く朝鮮人軍属への想いはまた特別のものがあったに違いない。

    この作品は韓国で初演され、中国でも公演が行われ、今回、新国立劇場で上演をするのにあたり大幅に改訂されたという。
    オリジナルの形でも観てみたいと思った。

    朝鮮人戦犯の1人を演じた池内博之さんは熱演だったが、先に書いたとおりに食事は生きるために最低限しか与えられていないので、カラ元気があったとしても、その後でぐったりする、などという様子が必要だったように思う。ずっと元気なので。
    元大尉役の浅野雅博さんは、きちっとしていて日本兵の部下に慕われていたが、実は朝鮮人軍属を蔑み体罰をしていたことがわかるという展開にふさわしい雰囲気が出ていた。つまり軍服をまとっている=建前のみでしか生きられない男が、だ。

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    2018/03/21 06:42

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