秋元松代『常陸坊海尊』を読む! 公演情報 一般社団法人 日本演出者協会「秋元松代『常陸坊海尊』を読む!」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     秋元 松代作の戯曲の朗読だが、音読を前提に書かれた戯曲だということもあり、演者たちのエネルギーポテンシャルはかなり高い状態で演じられた。

    ネタバレBOX

    即ち科白が各々の演者によってそれぞれ独自の身体化を要求するタイプの文章だということであろう。
     8日間の練習で此処まで読めるのは、流石演出家中心の演者、各々が普段から勉強していることが、また身体鍛錬を含めて活動している者も多いことが見て取れた。
     テキストは元々、1960年にラジオ放送用に書かれたが、その後大幅に加筆訂正されたものが1964年に出版された。
     海尊は、義経の側近であったということだが、彼が仏門に入るのは、衣川の戦いの折り、戦いに参ずることが出来なかった為だと言われている。何れにせよ、主君の危機を救う側に立てなかったことを生涯己の裏切り行為と責めたものと思われる。今作では、意気地が無くて裏切った者として描かれ、為にその道義的責任に対する背信者として750年を悔恨の行を積む僧として彷徨う。今作ではおばばが、その海尊に会い、その継承者になろうとしたこと、1945年3月10日の東京大空襲前に疎開してきていた東京の尋常小学校生徒たちとの因縁話、おばばの下に暮らす孫ほどの年の雪乃という名の美少女、おばばとそのツバメの山伏、少将と娼婦の道行等々。人間の生存欲、性欲という業と倫理の問題が、登場人物達の性を仲立ちとする関係に表されて生々しい。
    生々しさを表すのに、ミイラ行と秋元が言っているのは、五穀断ち、十穀断ちなどを経て即身成仏することであろう。有名な所では鉄門海上人が居るが、敢えてミイラという修辞をしている所に劇作家というより文学者を自認していた彼女の美意識が在ったと思われる。
     戦争中、児童に付き添って来た教師の戦中教育と敗戦間もなくの失踪、海尊が、何人も出てくる点は、義経生存伝説、東北での海尊伝承、藤原三代のミイラ、宗教的行ではなく、人工的にミイラを作る行為等と海尊伝承を身体化させる物語装置として“転じることで生き続ける海尊という実在(役者の身体を通じての実在化)を為さしめること”。これら、一連の目論見によって現実世界を虚構によって相対化する試みこそ、今作が目指したものではなかったか? 社会的男女関係のfemme fataleによる逆転もその一つだろう。

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    2018/03/20 16:30

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