このBARを教会だと思ってる(千秋楽満員御礼、終幕しました!ご感想お待ちしております) 公演情報 MU「このBARを教会だと思ってる(千秋楽満員御礼、終幕しました!ご感想お待ちしております)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    「現実と向き合えているか」
    または「向き合おうとしているか」ということによって
    見え方が変わるという内容だと解釈をした。

    ネタバレBOX

    「現実」と向き合い、地に足がついていて、それなりに心が満たされていれば、「逃避」はつかの間の「休息」でもあるはずなので、ギターで弾き語るマスターの奥さんと古垣さんのお姉さんが物語のなかで最も冷静で中立な立場であったという意味で、神的だったとおもう。

    帰宅拒否組のおじさん4人衆も、マスターの奥さんや古垣さんのお姉さんと同じように、社会的に地に足が着いているいるけれども、日常的に「現実」と向き合いすぎて疲れていて。
    「現実」に心が満たされていない。
    だから、おじさんたちのやってることは「休息」ではなく「逃避」で、つかのまの「逃避」から、安らぎを得る。「逃避」があるから、現実と向き合おうとする意欲が生まれる。そういう、せめてもの「救い」があるから、帰宅拒否組のおじさんたちは「救われている」と感じた。

    そして、おじさんたちの逃避先でもあるガールズバーの女の子たちの会話から、何度も繰り返される「現実じゃない方」というフレーズは、その中のひとりの女の子がポロっと漏らす「現実キツい」って本音の裏返しで。「現実はキツい」けど「逃避」しながら、現実をがんばってるから、本音を漏らした子を皆が後ろからハグして救済する場面が美しかった。
    同じく、ガールズバーのパシり役のみかんちゃんと岡山崎さんの恋模様も可愛かった。
    観劇する前夜に『youtuber の saecomが渋谷ハロウィンではしゃいでると親戚のおじさんと未知との遭遇』をyoutubeで見ていたので、saecomのおじさんはsaecomと会ったあの後、さざなみのバイトに行っていて、しかも上の階のガールズバーで働く、暗くてロキノン系のメイドちゃんと付合っていたのか!というミスリードが出来て、妙に納得した。
    岡山崎さんの仕事できない加減をディスりながらも受け入れてるみかんちゃんのあのふたりの掛け合いも、血が通ってて好きだったな。

    それから、「現実」から「逃避」したままで「救い」があるのかという観点から、何でも屋の草谷は、序盤から終盤まで常に気になる人だった。草谷は自らの欲求に従って動いていたが、その言動は最後まで「現実」を「逃避」をしていたことから救われないのは正しかったとおもう。
    また、フルーティーの篤子ママも、草谷に捨てられた「現実」を受け入れられなかったことから、救いはなく。帰宅拒否組のおじさん4人衆に可愛がってもらった小動物系の川崎さんも、
    『誰をも好きにはなれないのに誰かが自分を本当に好きでいるのか知りたい』
    という人の気持ちを試すようなことをしたことから、救いがないのは合点がいった。

    異色だったのは、古垣さんの妹と恋人のKくんとの仲を引き裂こうとした浮気相手の女性。
    モノローグの中で、彼女は罪を告白(告解)し、祈りを捧げる。その祈りは、願いでもある。
    願いは、現実的ではないかもしれないという意味で、ある種の「逃避」行為でもあるとも考えられるとすると、「赦し」は得ても、罪の「事実」は消えないという、矛盾を孕む。しかし、現実的には祈りつづけるという方法しかない。だから彼女だけは、彼女のなかの神さまだけにしか心の拠り所がないように思われた。

    また、「現実」と「逃避」がトートロジー的であると仮定すると、
    『このバーがお客さまの心に寄り添うさざなみのようであって欲しい』というマスターの心の拠り所であるバーは「逃避」であって「現実」でもあることから、実はマスターが一番救いがなくて、虚無的なんじゃないかという疑惑が残った。

    ラストでの、古垣姉妹の掛け合いは、「現実」から「逃避」しようとした妹が、現実と向き合うことを選択したことに対する、姉のレスポンスであったと解釈をした。
    その先に待ち受けるものが、希望であるのか絶望であるのかはわからないけれど。
    そういう不確実性のなかに現実的に私たちも生きているから、それもあり得る選択だと思った。

    ちなみに自分は、この話を、古垣さんのお姉さん目線で観ていた。
    だから、妹がボロボロになっていく姿を見て哀しくなったし、自分を大切にしない妹に対して叱りたくもなった。あと、ビジュアル的に古垣さんのお姉さんが、ニンフォマニアックのシャルロット・ゲンズブールみたいで格好良かったし、古市みみさんの言葉のひとつひとつに重みがあって惹きこまれた。
    まるで、自分の方にまでちゃんと生きなさいって背中を押してくれてるような。
    そんな気がしていた。

    ※Kくんについての補足(2018/2/28)
    Kくんは失踪してしまっているため、物語の会話のなかにしか登場しない、
    観客の想像に委ねられたキャラクターだった。
    ミステリアスな「Kくん」は、梶井基次郎の「Kの昇天―(或はKの溺死)」のKくんに似ているなと思った。
    あのKくんも、このKくんも、この世界にはもういないかもしれないとしたら・・・?
    そしてそれを引き寄せた原因が誰かのどこかにあるのだとしたら。
    「罪」の意味が変質するのではないか、
    扉を開けて入ってくのはKくんではないかもしれない、と思った。
    だから、ラストのその先にあるのは「希望であるのか絶望であるのかわからない」とした。

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    2018/02/27 01:54

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  • Hell-see さま

    ビビッドなレビューありがとうございました。MU主宰のハセガワアユムです。
    演劇においてテーマを意識しつつ観てもらえたことが光栄です。
    観た人が誰に寄りそうかで感想が変わる作品を目指していたので、古垣の姉の視点であったり、何でも屋の彼が現実的ではなく逃避に見えた、という視点も感慨深いです。ありがとうございます。

    それとコリッチからメッセージ機能がなくなってしまい、コメントでしかやり取り出来ず恐縮なのですが、ただいま本作品のシナリオブック(舞台写真付き)を作成しておりまして、よろしければHell-seeさんのレビューを転載させてもらえないでしょうか。
    それくらい作者としては、作者冥利のレビューと感じております。
    御礼は献本という形になってしまうのですが。。。
    よろしければ muweb.info@gmail.com まで一度御連絡戴けないでしょうか。
    コメント欄から、そして突然の御相談で申し訳ありませんが、ご検討して戴けましたら大変嬉しいです。
    どうぞよろしくお願い致します。

    (ハセガワアユム)

    2018/03/11 21:09

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