このBARを教会だと思ってる(千秋楽満員御礼、終幕しました!ご感想お待ちしております) 公演情報 MU「このBARを教会だと思ってる(千秋楽満員御礼、終幕しました!ご感想お待ちしております)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    笑いの中に、私たちが内在する逃避=孤独を見事に描いた。
    MUの最高傑作の誕生かも。

    (以下、ネタバレBOXに長文書いてます)

    ネタバレBOX

    毎度のことながら舞台設定だけで勝利宣言が出てしまう、MUらしい設定。
    『このBARを教会だと思ってる』のタイトルが良すぎるのだ。
    バーなんかに行ったことはなかったとしても、なんとなく頷ける感じがするではないか。
    バーのイメージってそんなんですよね。

    バーとか名物ママのいるスナックとか、いろんな人が何かを吐き出す場所、というところに目を付けたのが吉の作品。
    もちろん今までもそうしたテイストが含まれている舞台や映画などの作品はあったと思うが、作・演のハセガワアユムさんはそこに「なぜ彼ら(彼女ら)はそのような場所で吐き出してしまうのか」を合体させ、現代に生きる人々の「逃避」の姿を描いた。

    かつてハセガワアユムさんは、「虚無」な世界観が爆発しているような作品を生み出していたと思っている。
    「虚無」にはこの世に疲れ・諦めた人々の顔があった。
    でも「生きているのだ」「生き続けていくのだ」という姿もそこにはあった。
    それの回答となるのが「逃避」ではないのか。

    「虚無」からの「逃避」。
    生きるための、ひとつの術(すべ)である。

    本作の登場人物たちはすべて「逃避」している。
    「帰宅拒否組」の4人に限らず、バーのマスターでさえも実は逃避しているように思える。
    「妻のためにしてやっている」バーも禁煙も、たぶん言い訳であり、彼の「逃げ」のように聞こえてしまうからだ。

    かつては「逃げるな」「立ち向かえ」的なマッチョな社会があったが今は違う。
    「逃げてもいい」という社会になりつつあるのではないか。
    逃避することは「悪」ではないのだ。

    この作品は「逃避」を描きながら、そうしている彼ら(彼女ら)に寄り添っていく。
    無様でもいい、と言ってくれているようだ。

    「逃避」先からまた「逃避」していく男たちもいたりする。
    「帰宅拒否組」はバーのバイトの子目当てなのに、一歩先には踏み込まない。いや「踏み込めない」。「女が怖い」とまで吐露させてしまっているが、それを責めるわけではない。

    逃避の先も「リアル」なので、現実を避けたい人はまた「逃避」するしかないのだ。

    「逃避の先」には「告解」があった。
    それがバー「さざなみ」にあったのだ。
    誰しもが薄々感づいていたが、バーでは知らず知らずに告解していたのだろう。
    それが白日の下になったのが「さざなみ」の告解ブーム化だ。

    バーは吐き出すだけの場所であり、実再に本音を「告解」しているかどうかは、たぶん問題ではないのだろう。アドバイスが欲しいわけではない。わけではないので「告解」であり、「告解している」という状況が大切なのだ。

    バーのマスターの役割は、何でも屋と同じ。吐瀉物を掃除したり、トイレの詰まりを直したりすること。
    それは「ただ聞くだけ」で行われる。
    何でも屋の台詞は、実はマスターの気持ちを代弁しているのではないのか。
    「吐瀉物に親近感」「(針金のハンガーをいじって)こんなモノで簡単に流せる」「吐いている女に惚れる」とかは、まさにマスターの台詞であってもおかしくはない。

    逃避している人たちは「孤独」でなのではないのだろうか。
    ある一定以上の間隔を空けて彼らは点在する。一見関係があるように見えてもリアルが怖い人たちなので、距離は保っている。そんな緩い関係を続けられる場所が「バー」なのではないだろうか。

    音楽にこだわりがあるMUの公演にもかかわらず、客入れの音楽がないのには違和感を感じた。
    その理由は公演が始まって理解した。ギターの生演奏があったからだ。

    4つの連作短編からなる作品ということで、各パートごとにギターが入った。
    各パートのつながりがなかなか憎い。
    薄暗がりでは単に人が入れ替わるだけではなく、例えば3話の終わりでは、きちんとガールズバーの女の子たちが、自分たちの仲間が汚してしまった(実際には汚れていない)バーの掃除を行ったりするのだ。このときの彼女たちの衣装が憎い。ガールズバーの衣装の上にコートを羽織っているのだ。なので、お店から帰る前に寄って掃除しに来た、みたいな雰囲気が出てくる。それを薄暗がりの中で行わせるセンスの良さ。

    4つの連作短編と称していたが、普通に1本の長編と言ってしまっても良かったように思うのだが。

    それにしてもハセガワさんの台詞のセンスは相変わらずナイスである。
    とてもテンポがいいし、特に台詞の返しがとても活き活きとしている。
    台詞の中では、結構微妙なところを突いてくるのだが、それには下手に突っ込みを入れず、流してしまうところがなお面白い。
    合唱の口パクのところとか、ガールズバーのママが繰り返す「アムス」とか、違法サイトにアップされるほど、とか(笑)。

    その上、単に面白いだけではなく、いきなりグッと突いてきたりする台詞があったりもする。
    例えば、第2話のラストでバーのバイトの子が「自分を本当に好きな人を知りたい」という台詞が哀しいし、さらにマスターの「自分だって誰も好きじゃない」が追い打ちをかけるたりするのだ。
    この第2話は、この2人の台詞がとても効いている。
    帰宅拒否組の大騒ぎに大笑いして終わらず、彼らの会話で閉めるところがハセガワアユムさんの上手さである。
    ここには思わず唸った。

    盛大に逃避していた妹が姉に支えられ、婚約者を待ち、そして……というラストは少し甘いな、とも思ったのだが、「逃避」することは「悪くはない」ということが中心に感じられた作品で、逃げ回っていた彼女が少しだけ現実と向き合おうとすることに対して、ハセガワアユムさんは彼女を見捨てなかったということではないか、と思ったのだ。それは「優しさ」とは少し違うような感覚。

    小さな決断と勇気に対して、背中を押してあげたのではないか、ということだ。
    「虚無作家」(笑)のハセガワアユムさんが「虚無」の先に見たものかもしれないとも。
    その一瞬は、新しいMUの誕生とともに、MUの最高傑作が生まれた瞬間かもしれない。

    姉役の古市みみさんがやはり男らしい(笑)。南アのミラジョボビッチというよりは『グロリア』の女主人公の感じか(笑)。他人(妹)を支えられる生命力を感じた。2本の足できちんと立っているという。
    バイト役の森口美雪さんの小動物感・ちょっとしたアイドル感がいい。2話のラストに見せる表情が特にいい。
    帰宅拒否組のメガネ男役の浜野隆之さんの頼りない気持ち悪さ(失礼・笑)もいいし、ガールズバーの姉御的な存在役の真嶋一歌さんの、どーんと来い的な強さを見せているが、動静監督の話に出る弱さ・哀しさの滲ませ方が上手い。
    他の役者さんたちも、キャラがぴたりときていて本当に楽しい。

    バー「ささなみ」は三茶にあるという設定だったけど、三角地帯のところやヴィレッジヴァンガードのほうの商店街でもなく、太子堂の住宅地に入るあたりにありそうなイメージがした。

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    2018/02/26 02:52

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