満足度★★★★
♪はかまだれーはーど、こ、だ(音程はラララララーシーラ、ミ、ミ。※ミは下のミ)。メロディーだけは頭に残った。
最近不要に睡魔が襲い、この日も中盤の割と喧騒な場面を見落とした。・・ので、その限りの感想だが。
シライケイタ演出の宣伝効果はかなりあったのだろうが、舞台についてどうだったかは語る材料が少ない。
冒頭「袴垂れ」の噂をする人々の、それを待ち望むようなやり取りがあり、場面も草っ原だから、ゴドーをモチーフにした作品だと最初に決め込んでしまった。もっともゴドーはメシア(キリスト)再臨のイメージで、袴垂れは義賊=人間だから態様は異なるのだが、「ただ待つ民」の像は重なる。ただ、今作の民はその先を行くのだという。つまり自らが義賊とならんとする。
それを望ましい展開として描かないのは、同じ福田善之作「真田風雲録」と同様、日本の「政治の時代」(戦後から60年代)に書かれた戯曲であり、「運動」のありように関わる問題を浮き彫りにした作品である事からして、当然なのだろう。
江戸を舞台に現代的問題を描き出す意図は序盤から見える。時代考証の跡は台詞に特にみられず、「袴垂れ」を待つ民らの風情は日本の農村のそれよりは潅木の点在するメキシコかどこかの砂漠を思わせる(黒澤監督の時代劇のようにジメッとせずカラッとした風土)。フィクションであり、何のためのそれかを早々に弁えて観るのが正解だったが、リアリズムで捉えた正解を探る内に恐らくは睡魔にみまわれたようで。
とりあえず本を読んでみよう。