川村美紀子『或る女』/ 佐々木敦『paper song』 公演情報 OM-2「川村美紀子『或る女』/ 佐々木敦『paper song』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2017/10/11 (水) 19:30

    座席1階2列

    観てきた!コメントをしたいけれども、一言で言い表せない。感想として書きたいことに、ネタバレもたくさんあるので、ネタバレしても大丈夫な方、ネタバレboxへ。。。

    ネタバレBOX

    今回の舞台は、佐々木 敦さんのpaper song、その後、川村 美紀子さんの或る女。
    佐々木さんの描きたいこと、かなり心にずしっとくる事で、これは観る人を選ぶと思いました。多分、この、孤独や内包する狂気・内なる声や爆発あたりを理解できる人は、自身も豊富な孤独経験のある人。いじめとか、そんな事だけでは、もはや、ない。いや、いじめを簡単に考えているのではありません。社会というものに、自分だけが置き去りにされていく、それも長い長い間。もう抜け出たのか、それとも抜け出ていないのか、いつ抜け出せばいいのか、そのきっかけさえ掴めない、そういう人は、佐々木さんの表現を理解できると思います。でも、でもですよ、そういう人が見たら、一発でやられます。息が苦しくなっちゃうと思う。だから、観る人はそれなりに覚悟が必要な舞台だったな、と遅ればせながら思いました。

    川村さんは、昭和29年と現代との、時空を超えた文通から露呈されていくものの表現。かたや、身体的な病いを抱えながらも乗り越えようとする、ただ、表面上は明るくしていてもその実、もがき苦しんでいる女性。もう片方は、現代の、モヤモヤしながらも答えを見つけ出そうとする、いや、本当の答えはどこかにあって、それは自分の内なるところにこそあって、それについては本当は、非常に早くから認識しているのに、汚い世界に身を投じて自分も汚いものになって、それでもまだもがいている。でも、汚くない。自分は汚いのがわかってここにいる。だから汚くない。そういう女性。

    両者とも、表現方法、ダンス(無骨な佐々木さんと、しなやかな川村さん)、鬼気迫るような気迫、、、色々共通しているけれど、全て、空虚・無・そして死を連想させます。
    わざとらしくは感じません。
    ただ、連想される死の後に、また新たな生を感じる。
    でも、清々しいとかなんとかではなく、ただただ、生と性の輪廻を繰り返す。

    この2つの作品は、演出でも大量に使われた、paperでつながっている。
    つながってはいるが、ただの紙でつながっているのではない。

    paperは、レッテル。社会からのレッテルの意味もある。
    紙やすりも。ヒリヒリと削る、紙やすり。
    そして、名目だけで、実体や実質を伴わないモノもさすんだ。
    paper song。実体のない歌。

    そんなことを考えながら劇場を後にしました。

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    2017/10/12 19:36

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