期待度♪♪♪♪
グスタフは、自劇団の気負いの割に掘り下げが浅いような気がする。”ひめゆり”を扱うというのなら、それがどれほどのことなのか、深く考えたものであって欲しい。自分は沖縄本島に1か月滞在したことがある。滞在先は金武の一画。キャンプハンセンに内包されたようなエリアだ。毎晩、金武で飲んだ。当然、多くの米兵とも話した。然し、彼らに同情することはしなかった。何故なら、彼ら1人の死に対し、相手方は戦闘員だけで50人以上の死者を出すからである。断っておくが、それでも20歳前後の彼らが、自分を含め、チャラケタ日本の若者より必死に死に向き合っている姿勢は痛いと思ったものだ。ところが、沖縄戦の悲惨はこんなセンチメンタリズムが入り込めるような生易しいものではなかた。而も、味方であるハズの日本兵から自決を迫られ、唯でさえ、差別された状況からの解放を願って必死の戦いをしていた沖縄の人々を苦しめた。このヤマトンチューの卑劣を糾弾する視点程度は最低限入っていて当たり前。自分の面倒をみてくれたウチナンチューの友人は、南部戦跡にだけは連れていってくれなかった。その気持ちの重さを、自分は今も心の砥石にしている。