満足度★★★★★
■約60分■
タイトルの『スーパースーハー』は呼吸音をもじったもの。当ダンスユニットのメンバー2人は公演の当日パンフに連名でこう書いている。
「普段無意識のうちにしている呼吸。意識しようとすると途端になにかが滞ってしまうのはなぜでしょう。しかし、その滞りこそ、先に至るために大事なものだと思いたい。(中略)意識された呼吸のその先を目指したい。」
意識すると滞ってしまうのは呼吸だけではない。呼吸と不可分に結びついた身体もしかり。当公演『スーパースーハー』は、常人よりも自在に動けるダンサーたちが高い身体能力にあえて制約をかけ、その“滞る身体”を表現した逆説的な試みだったと言えるだろう。
ある者は腹這いになって床を滑るアクションを何度も繰り返し、そのような動きしかできない架空の生き物の生態を模写しているかのよう。そうかと思えば、まるで溶接されたかのように膝頭をぴったりくっつけたままぎこちなく横歩きしたり、裏返されて起き直ろうともがくセミさながらの動きを集団で表現したり。
不自由と格闘しながら動こうと頑張る姿は、這い這いでたどたどしく移動したり渾身の力でつかまり立ちをしたりする赤ちゃんを思わせて、感動と同時に微笑ましさをおぼえながら鑑賞。
赤ちゃんはむろんのこと、人間全般へと普遍化できる。
無理をすれば痛む身体、おいそれとは変造できない顔、有機物であることに由来する様々な欲求…そうした障壁と闘いながら滑稽に、またがむしゃらに日々を生きる不自由極まりない我々の鏡像をまざまざと見せつけてくれるからこそ、かえるPのこの舞台は感動を呼ぶのだ。