怪談 牡丹燈籠 公演情報 オフィスコットーネ「怪談 牡丹燈籠」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    扉座、桟敷童子のとは一味違う〈すみだパークスタジオ〉。奥行間口は広いが天井低く、夜の倉庫の四隅や、視界の届かぬ向こうが闇に溶け、入れ替わり立ち替わる光景が幻のようで、現のようで。ある夜の寝物語にみた夢のように判然としない、あの錯覚を瞬き一つで起こす闇を背に、虚実の結界をゆらゆらと辿るような時間であった。
    演出は大手プロデュース舞台を多く手掛ける森新太郎、俳優は抜かりない演技を繰り出すが、舞台中央に据えられた縦の軸にゆっくりと回る(時に速度を増し、時に止まる)横広のくすんだ厚布との間合いや位置取りは見た目以上に難事だったのでは・・。
    太田緑ロランス、松本紀保、山本亨、西尾友樹、児玉貴志、青山勝、原口健太郎、花王おさむ、松金よね子・・(主賓らしい柳下大は名も顔も初見だったが)、現代の衣裳が次第に違和感なく、むしろ役者の的確な芝居により「牡丹燈籠」を確かな手触りでこの瞬間に存在せしめた。
    人間の業に絡め取られ、欲に突き動かされ、あるいは巻き込まれ修羅の場に轟然と立ち尽くす終幕の彼らは血にまみれて立つマクベスのラストの残像に通じ、破滅のカタルシスをめらめらと放射していた。美しい。その場所に立つ事はないと信じて眺め興じる己らだが、自らがそこに立って生きやう(死なう)としたのがミシマであったという事かな、などとふと思う。

    ネタバレBOX

    森新太郎演出の注目舞台は結構見逃しており、過去観劇したのはコットーネ「民衆の敵」(吉祥寺)、新国立劇場「エドワード2世」のみ。演出的な挑戦が明確にある印象だ。
    「民衆の敵」は同時期に見た雷ストレンジャーズのストレートな小空間の舞台のほうが、的確に思えた。森演出は古典作品に「斬り込む」趣向に傾き、考え過ぎに思えたのだった。演出の意欲はビシビシと感じたが。
    「エドワード2世」のほうは恐らく、ヒーロー性の欠片もない王の孤独をコミカルに、柄本佑に演じさせたのが演出的作為で、面白かったが、森演出の本領は大型舞台で確かめ得る、という線が見える。
    が、今回のすみだパークスタジオはいかにも小劇場。だが使いこなしは完璧だった。もっとも「円」の舞台も小さな場所でやるイメージがあるが。
    大竹野正典シリーズでないコットーネ舞台は、3作目になった。若干値が張るのは役者陣が贅沢だからか。その価値あり、と言える舞台。
    児玉貴志がThe Shampoohatの休業中見られなかった所、久々に苦虫潰した表情(なぜカーテンコールで?)を見られてプチ満足である。松本紀保の地で行くような芝居と死の直前(とは知らず)見せる艶っぽさ、太田の全身そそのかし女のなり切り振り、主人をも諭す忠義ぶりを演じる西尾、その主人の存在感を最後に見せ付けた青山、欲に身を売り手抜かりなく殺す影の主役・山本、脇できっちり締め、また笑わせる松金、花王。その他名前を把握しない俳優のあの場面この場面。・・・

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    2017/07/17 09:06

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