怪談 牡丹燈籠 公演情報 怪談 牡丹燈籠」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2017/07/30 (日)

    最終日観劇。
    極限の灯の中で、邪気、悪気、怨念の陰陽さをブレヒト幕ならぬブレヒト回転幕とでも例えればいいのか、その使い方で話がわかる見事さよ。結末以外、話のあらすじはあまり変えてなかったような気がするが、下男の遺恨はそうきたか、と面白く拝見。
    発端/お露新三郎/お札剥がし/孝助の槍、などなど

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2017/07/16 (日)

    舞台装置というか美術が面白い。良くできていた。衣裳も良かった。だけど観ていて目が回ったみたい。

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2017/07/24 (月) 19:30

    座席1階B列16番

    怪談というだけあり、ゾワっとする場面もありつつ、所々に笑いがあり、出演者の皆さんの個性が光る作品でした。隣の席のおじさまは爆睡でしたが、私はとっても楽しめました〜!

  • 満足度★★★★★

    牡丹燈籠はもともと話芸だけに物語の筋も趣向も飛躍(意地悪く言えばご都合主義)が多い。歌舞伎脚本が最もよく知られているのだろうが、それでも≪通し≫と言って全部やったのは見たことがない。武士社会の敵討ちとそのお家の従者たちの世話物が二重になっていて、ことにかたき討ちの因縁など複雑に絡んでわかりにくい。怪談はこの二者をつないでいるのだが、幽霊が出る事にテーマがあるわけでもない。ぐちゃぐちゃの人間関係、この世もあの世もありますよ、因果は巡る尾車の…と言うドラマなのだが、今どきそれでは見物は満足しないだろう。
    と言うわけで今回の新作、もろもろの牡丹燈籠の種本を渉猟して新しく編んだフジノサツコの脚本。演出は売り出しの森新太郎である。工場(倉?)の改装した小劇場の舞台はノーセット。代わりに横に回転する舞台いっぱいに張られたスクリーンがあって、これが回る間に俳優がその隙間で演技する。と書くと、せせこましいようだが、照明と、大道具操作(回転係)の息が演技とうまくいって、見たことのない抽象舞台を作り出した。スクリーンの奥に俳優が去って照明がすっと動くと闇に溶けるように見える。場数が多い構成が説明なしで次へ行ける(これは功罪あるがそれは後で書く)。衣裳は全員現代衣裳でこれが違和感が全くなかったのはお手柄だが(木下歌舞伎もうまくいった)これにはやはり大道具をスクリーン一つにした大技の力が大きいと思う。
    しかし、歌舞伎だとここは武家屋敷、伴蔵うち、船の上、とセットと衣装でハッキリ解るが、これでは、エートここはどこだっけ、だれだっけ、と理解するのに時間がかかる。テンポが速いので飲み込む前に次ぎに行くところもある。これは、原作の筋立てによるところも大きい。この話、歌舞伎でも最近は随分はしょった上にほとんど半分しかやらない。百両降ってくる世話物の部分が面白いので、仇討は添え物になっている。文学座が新劇でやった大西本などは仇討はカットである。今回のフジノ本はよくばりでずいぶん原作を取り込んでいる。構成上、面白そうなところは全部やっちゃえ、という精神だが、やはり人間関係がお客によく呑み込めていないと面白くない。お化けの出る怪談は、いはば、陰の引く話だから、もったいぶった間がないと怖くならない。余り怖くしたくないのかと思ったら、パンフレットでは演出が怖くしたいと書いている。うーんこれは歳のせいか。だが正直、後半話が詰まっていくところは駆け足で見る方も大変である。
    そういう辛さも有りながら、この公演が面白かったのはナマの、役者の力だと思う。今回はキャスティングがすごい。80年代後半から現在までの小劇場、初期の東京ボ-ドヴィルの花王おさむから、チョコレートケーキの西尾友樹まで、つかこうへいアり、野田秀樹あり、道学先生にテアトルエコー、シャンプーハットといはば、独立路線を歩んだ小劇場劇団出身者にカブキ大御所の娘・松本紀保を加えた独特の大一座。現代役者名鑑である。彼らをまとめた森の演出力に改めて感服した。先ほどの話をひきとると、役者を見ていると物語の筋はあやふやでも面白いのである。細かく言えばいくらでも注文が出てくる舞台ながら、それをすべて越えて、この公演は成功だった。

  • 満足度★★★★★

    扉座、桟敷童子のとは一味違う〈すみだパークスタジオ〉。奥行間口は広いが天井低く、夜の倉庫の四隅や、視界の届かぬ向こうが闇に溶け、入れ替わり立ち替わる光景が幻のようで、現のようで。ある夜の寝物語にみた夢のように判然としない、あの錯覚を瞬き一つで起こす闇を背に、虚実の結界をゆらゆらと辿るような時間であった。
    演出は大手プロデュース舞台を多く手掛ける森新太郎、俳優は抜かりない演技を繰り出すが、舞台中央に据えられた縦の軸にゆっくりと回る(時に速度を増し、時に止まる)横広のくすんだ厚布との間合いや位置取りは見た目以上に難事だったのでは・・。
    太田緑ロランス、松本紀保、山本亨、西尾友樹、児玉貴志、青山勝、原口健太郎、花王おさむ、松金よね子・・(主賓らしい柳下大は名も顔も初見だったが)、現代の衣裳が次第に違和感なく、むしろ役者の的確な芝居により「牡丹燈籠」を確かな手触りでこの瞬間に存在せしめた。
    人間の業に絡め取られ、欲に突き動かされ、あるいは巻き込まれ修羅の場に轟然と立ち尽くす終幕の彼らは血にまみれて立つマクベスのラストの残像に通じ、破滅のカタルシスをめらめらと放射していた。美しい。その場所に立つ事はないと信じて眺め興じる己らだが、自らがそこに立って生きやう(死なう)としたのがミシマであったという事かな、などとふと思う。

    ネタバレBOX

    森新太郎演出の注目舞台は結構見逃しており、過去観劇したのはコットーネ「民衆の敵」(吉祥寺)、新国立劇場「エドワード2世」のみ。演出的な挑戦が明確にある印象だ。
    「民衆の敵」は同時期に見た雷ストレンジャーズのストレートな小空間の舞台のほうが、的確に思えた。森演出は古典作品に「斬り込む」趣向に傾き、考え過ぎに思えたのだった。演出の意欲はビシビシと感じたが。
    「エドワード2世」のほうは恐らく、ヒーロー性の欠片もない王の孤独をコミカルに、柄本佑に演じさせたのが演出的作為で、面白かったが、森演出の本領は大型舞台で確かめ得る、という線が見える。
    が、今回のすみだパークスタジオはいかにも小劇場。だが使いこなしは完璧だった。もっとも「円」の舞台も小さな場所でやるイメージがあるが。
    大竹野正典シリーズでないコットーネ舞台は、3作目になった。若干値が張るのは役者陣が贅沢だからか。その価値あり、と言える舞台。
    児玉貴志がThe Shampoohatの休業中見られなかった所、久々に苦虫潰した表情(なぜカーテンコールで?)を見られてプチ満足である。松本紀保の地で行くような芝居と死の直前(とは知らず)見せる艶っぽさ、太田の全身そそのかし女のなり切り振り、主人をも諭す忠義ぶりを演じる西尾、その主人の存在感を最後に見せ付けた青山、欲に身を売り手抜かりなく殺す影の主役・山本、脇できっちり締め、また笑わせる松金、花王。その他名前を把握しない俳優のあの場面この場面。・・・
  • 満足度★★★★

    私が知っていた映画やドラマで見た「牡丹燈籠」はお話のごく一部だったのですね!!でもそれでもいいから、そこに焦点を当てた牡丹燈籠が観たかったのでした。あの布の演出はおもしろいですが、うっとうしくもありました。

  • 満足度★★★★★

    これはもう素晴らしい舞台である。新三郎とお露だけではなく,その他の登場人物のサイドストーリーにも光を当て,物語を厚みのあるものに仕上げている。舞台装置もシンプルながら,この芝居には効果的で,印象に残ります。演技にも全く問題はない。特に西尾友樹が秀逸,たたずまいが見事です。良い舞台を観たと,公演自体には満足で,不満などありようがありません。不満は観客の方で…こりっち常連の方々にも嫌な思いをされた方も多いと思うが…「た〇ちゃん」だっけ?…独り言はウルサイ!上半身は薄汚れた肌着で(なんか臭そう),公演中に着たり脱いだり,伸びをしたりもぞもぞと動いたりして落ち着きはないし,目障りで不快です。昨日は,自分よりももっと近くの,特に後ろの席の方はもっと不快な思いをしたのではないかと思うが,観劇は公共の場であることをわきまえ,他の観客に迷惑や不快になる言動は控えて欲しい。ただ,「た〇ちゃん」の場合には,言っても無駄だろうから。芝居に来れない,もしくは死ぬことを願うだけである。

  • 満足度★★★★★

    フライヤーの大きさが2倍のA3。これが目立たぬ訳が無い。俳優陣は豪華。演出は森新太郎。「これは観なきゃ!」。予想通りの素晴らしい作品でした。舞台は暗い。大きな布が回っているだけ。現代人の服装。刀や槍を持っている人も。話は知っている人も多いでしょう。ここでどのように話が展開するのか? 初めて観ても、何回目かでも、演劇の醍醐味を感じる舞台です。

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