たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す 公演情報 シベリア少女鉄道「たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初・シベリア少女鉄道。3年くらい気になっていたが漸く相見えた。怒涛の終幕、評判通りの「凝り方」に口元が緩んだ。夜道に出て歩きながら反芻・・する事はないが、笑ったツボが効いている。

    ネタバレBOX

    ドラマ世界を、ゲームというバーチャル世界に置き換えることは、自然であった。そう感じさせる劇世界であり演技態であった。という事だろう。
    あるラブストーリーが一くさり演じられる。ところが、「あるべき結末」に至らないがために人物にバグが起き始める。各人が最初のクールでそれぞれ演じた特徴的な場面が、反復行動のキーとなる・・つまりその台詞・動作が出ると、それをきっかけに「次」の台詞・動作が発動する、そして反復行動が複雑化・過剰化し、連鎖していく、そういう仕掛けである。相互作用が複雑化して先が読めないため、予期せぬ場面が生まれて思わず笑ってしまう。また随所で細かくあれやこれやを茶化していて、それらがジャブのように効いて来るのが小気味良い。最も茶化されているのはラブストーリー(定番な)そのものだろうが、メロドラマな「演技」そのものを茶化し、それが体現していた恋愛、青春、情熱といったドラマの要素そのものをも茶化す。
    いつしか修羅場は上段と下段に分かれ、下におりるとゾンビにやられてしまう(バイオハザード?)設定になっており「もう行くんじゃない!」と誰かが叫んでいたり、借用も的確で?自在。
    はて、この狂騒状態は何のためか、理由は勿論あって、「あるべき結末」に到達する事が混乱解決の方法であるらしい。そして各自の反復行動の作用が積み重ねられた結果、予想だにしない手順で「あるべき結末」は劇的に訪れる。
    あの手この手のバリエーションと緻密な構造は少なからず固定客をつかんでいる事だろう。独特の作り手は、小林賢太郎を超える‘好き者’とみた。

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    2017/06/15 00:14

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