満足度★★★★
高校演劇の流れからか、ナベ源の舞台は装置が簡素で無対象(小道具を使わず「有る」体でやる)演技も多い。その「約束事」を逆手に取り?演技がカリカチュアライズな、コミカルな質感を伴い、「これはお芝居です」の範疇に止まる感が冒頭から既にある。にも関わらず舞台上の役者は笑っておらず真剣そのもの、題材もシビアでやがて観客も笑えなくなる、というパターン多し。
今回の舞台も例に漏れず、クスリと笑える場面満載だが全体にはシリアスのトーンが支配し、順当に、話はシリアスの線をなぞるべくなぞって行く。
「貧困」を描いてはいないが母子家庭をモデルにした時点でその要素あり、案の定、でもないが、「戦争」が身近に存在する未来へと話は直行する。ていの良い徴兵制(誘導型)が如何にも無垢なマスコットガールに誘導される形で実質化している様も、「マイラッキーナンバー」などという歯の浮くネーミングも、無さそうでいて将来「有る」状況が想像された。あの青年のように八方塞がりな状況では、歯の浮く綺麗な言葉に、見せかけの笑顔に、乗ってしまうだろう。なぜなら、そこの他には彼の「立つ瀬」などどこにも無かったからである。
タブレットのゲームに興じる彼のルーティンな動作、時々相手を倒す瞬間に連打する力の入れよう、相手が倒れた時の瞬間的な爽快・安堵感、それらは彼がゲームに向かえば必ず得られる安定したサイクル(+ちょっとした臨場感)であり、「何もしない」怖ろしい時間を回避するため、彼はそれをし続ける(か食べるか寝る)しかない。その事がありありと滲んだ、半分ふてくされた表情。怠惰と浪費と罪悪感から抜け出せない地獄を、膠着した表情の向こうに見る思いがした。
三上氏と工藤氏による母子の劇は淡々と進み、級友や店員やマスコットキャラ等の音喜多氏と、日替わり助っ人が脇で笑わせるが、基本的には静寂のある劇で、説明的でない。音楽は限定使用、転換他の間は埋めず、声も張らない。だからぼんやり見ていると単純素朴な芝居だ。が、実はそこかしこに、ドラマを立体的に浮上させる鍵となる場面や台詞が仕込まれ、ラストにはしっかりと実を結ぶ。
一介の小さな「家族」であった二人が世界の中に取り残されたような最後、母の口から小さな「後悔」の声を聴いた時、私達は彼らを包み込むもの(毛布、的なものだろうか)を、無対象に持ちながら手をこまねいている自分を発見する。