楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき― 公演情報 オトナの事情≒コドモの二乗「楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    楽屋を味わう。今回はユニークな配役2バージョンの上演だ。フェスで「楽屋」三昧の5月以来、既に1本観て今回2度目になる「楽屋」。つくづくリピートに耐える戯曲だなと思う。同時に、メタ構造を演技で表現したり、感情の目盛りの振れ塩梅など、難しさもある。
    「をんな編」の特色は、キャラのくっきり棲み分けた三女優と、唯一の生者を演じる女形の取り合わせ。戯曲はリアルな形象を追求したくなる所、「女形」の非リアルの扱いはやはり難しい。4男優で演じるバージョンも観たいものだが、「女形」一人の混入では企画の「意図」までは読めなかった。既に「女」である事の有利さ(という言い方も妙だが)を謳歌する三人に比べ、塚越健一の女形は物怖じせず堂々と演じてそれなりだが「男」の身体で演じるハンディを、どんなメリットでもって相殺、あるいは凌駕するのか。。病んだ小娘に舐めた態度を取られ、普通なら一瞥をくれて事は収まるのに今日ばかりは、自らの女優人生の来し方が思い出されて感情が高ぶってしまう。主役の座を追われる事への恐れは彼女の体に沁みた苦労と裏腹で、生理的な反応である所、女形の演技はやはり理屈が勝って、男性的に見えた。同じ女性であり女優を目指す者同士、敵愾心はあってもどこかでかつての自分を見て愛おしくなる両面の感情があるはず。これを表現し得るのは、女性の身体しかないのではないだろうか・・。
    フェスで4バージョンあった燐光群の役の組合せの中に同じパターンがあり、一見面白いが「限界」の方が意識されたのと同じ感触だった。とは言え、大きな違和感を感じさせない内に最後の場面へとバトンを渡せたのは、女形としての実力だろうか。
    出色は「三人姉妹」の場面に畳み込むラストの三女優のアンサンブル。各人はポイントとなる場面での感情をしっかり伝え、それらが効いてぐっと説得力あるラストシーンに結晶した。人生の輝きの日を切望する姿は「もう遅い」ゆえの哀れさでなく「まだ先がある」希望=美しさに包まれてみえた。
    テーマにジャズ組曲を据えたのは無難、というか最上の選択ではないか。

    ネタバレBOX

    「フェス」のあった梅ヶ丘BOXが「正解」とは言わないが、楽屋らしい広さというものがあるとすれば、王子小劇場の壁をそのまま壁として使う広さは、雰囲気としてもう一つ。ただ、照明が床近辺を明るく、一定高さの部分を暗めにしていたり(喋る人の顔が影になる事も)など、霊の世界らしい雰囲気をうまく出していた。

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    2016/12/25 01:55

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