ゆっくり回る菊池 公演情報 僕たちが好きだった川村紗也「ゆっくり回る菊池」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    クロムモリブ。
    ネタバレにて。

    ネタバレBOX

    筋はちゃんとしなきゃならんと思う。色々と笑わせどころを設けているが、ドラマがラストへ向かう過程の笑いである。色々あってその最後。閉じくり次第で何がしかの思想を込める事だって・・。とも思うが、ここがよろしくない。
     結婚にこだわっていた姉が見合い相手とはもう十分互いを知った仲になったはずの終盤で、何やら理屈を付けて結婚「しない」選択をする、それをにこやかに相手に告げるという、作者の何の表明だか皆目判らないラスト。結婚という積極的・生産的な道を「選ばない」理由はそれを凌駕する積極性を持たねばならない(観客の想像に任せるのでなく)。
     その「相手」である怪しげなカウンセラーは、結婚詐欺師?との疑いは誤りだった、という「それって普通じゃん」な表明、この男が最後に吐く「ドラマの終りっぽい」台詞が最悪だ。ドラマの中心に居る姉妹+男の三人を、「ケアする事がこれからの私の仕事」だと言う。これが最も寒い。
     台詞じたいはどう解析してもナンセンスの領域なのだが、どうも「いい話」っぽく終りたい匂いを放っている。ここで言う彼の「仕事」とは、実はしっかりそれを職業としていたカウンセリングの「クライアント」とするという意味で「稼げる」という下心の表明なのか、金銭抜きに「ケアして行きたい」愛着の表明なのか、この真逆の意味のどちらかをはっきりさせていない。ただ、「終りっぽい」雰囲気だけで書いた意味もクソも無い台詞だ。このフィナーレの寒さ、後味の悪さに、何を汲み取れば良いか・・・判らない。

    「毒」を盛ることはできても解毒はできない作家だと思う。毒は社会の不条理、もっと言えば真理の一つの見え方だ。現象の本質を透徹した上でその根底を揺さぶるのでなければ毒は相対化されずに残る。
     解毒して良い話に軟着陸させる試みは放棄し、毒を毒として直視する。毒を味わい、毒に終わるんで良いと思う。
     そうして初めて何かが一貫するのではないか。よく判らないが、そんな事を言いたくなる芝居(というかラスト)だった。(以上は作演出青木氏の劇団クロムモリブデンの舞台を観た印象にも通じる。それで毒が強くなったか・・)

    俳優の健闘を加点。

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    2016/11/24 00:33

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