ジプシー 〜千の輪の切り株の上の物語〜 公演情報 ことのはbox「ジプシー 〜千の輪の切り株の上の物語〜」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    共生を感じるような...
    この脚本「ジプシー~千の輪の切り株の上の物語」(横内謙介 氏)は、1989年初演で、今から約30年前のものという。台詞から感じる状況・背景は少し古いような気もするが...。しかし、色々な対比を通して普遍的なテーマも透けて見えてくる。
    さて、バブル期にマンションを購入した夫婦、特に夫のはしゃぎようは分かる。一方、説明にある建築中のマンションに闖入・占拠しているジプシーは物質や定住に拘らない。建築中でコンクリートむき出しの殺伐とした所になぜ居るのか。後に分かるが、ジプシーの正体、この場所にいる意味と謎が氷解していく。
    そこに見た「生ある存在」と、登場する人々との交流を通して描かれた心温まる物語。色々な意味で「共生」を感じる。
    (上演時間1時間45分)

    ネタバレBOX

    梗概は、説明から「マンションを買った若い夫婦が完成を待ちきれず、建築中の建物に忍び込んてだ。そこには既にジプシーの大家族が住んでいた」と。
    舞台セットは、コンクリート壁、中央に窓になるであろう部分が刳り貫かれ、その向こうに建築足場のパイプ組が見える。

    バブル期には無理してでもマンション(住宅)を購入しようとする風潮。一方、パート時給が○円という低賃金で働くという貧富さ。マンション(購入)を持つことによって経済・精神、そしてその地にしばられ自由が失なわれる。他方、ジプシーは物質や地にとらわれず、住(棲)みやすい場所を転々とする自由さ。この建築現場、以前は大きな木があったという。コンクリートと木という ぬくもり...などいくつか対比を描く。物語ではどちらが正解か、そのような導きはしない。色々な考えがあり、その上での自己判断。ここまでが普遍的と思えるところ。

    さて、誤解を生みそうな気もするが、移民(ジプシーとは違う)の問題を想起してしまう。寛容と自己防衛(移民問題とテロが同時に俎上に上がることもある)の鬩ぎあいを思ってしまう。欧州では国境線が変わり帰属する国も変わる、という歴史を繰り返してきた。そのことで政治体制はもちろん、文化・宗教も変わる。自分と異なる他者が現れると畏怖し排除しようとする。この側面が現代的と思ってしまう。

    上演後、演出・原田直樹氏と話をさせていただいた。自分はこの演出で、特に次のところが気に入っている。
    音楽...ジプシーの合唱において、地声と裏声で歌わせている。具体的には母親は裏声で子が地声である。地声の方が個性的で感情表現の幅が広くなる。一方裏声は美しく聞こえるが音色の変化に乏しく歌い手の個性が発揮しにくい。その違い(個性)を成長期の子に担わせている。
    もう1つは照明での印象付である。舞台セットは内装前のコンクリート壁のみ。この殺風景な空間に木の陰影を照らし出す。それはモノトーンであり、夫が希望する部屋内装のコンセプトそのもの。超高山、深海は色が段々となくなり「生」のイメージが少なくなる。さてジプシーの衣装はカラフルで、その色合いからは...。

    このジプシーの正体は...、以前あった木(欅)に梅雨時だけ「居る」というもの。
    初日観劇したが、台詞や歌声に硬さが見られたこと、動き(動線)が不自然なところも見受けられたが、だんだんと良くなっていくだろう。

    次回公演も楽しみにしております。

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    2016/08/19 07:11

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