夏に死す 公演情報 劇団桟敷童子「夏に死す」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    動き軋む桟敷童子
    桟敷童子の芝居は作者本人がいつか漏らした如く、幾つかのパターンのローテーション、そう言われて否定できない「似たり寄ったり」感はある。これを楽しみにお客もやって来る。だがまったく同じ舞台では無く、新作には何らかの新趣向が必ず盛り込まれている。ようは、「予測の裏切り度」が勝負なのは事実だ。
    その点、劇団歴のどの時点から見始めたかで観客にとっての新鮮度は異なるだろうし、神話的なのが好みか、リアルな方が好みか、などもあるだろう。

    しかし同じ事を繰り返して行くだけ・・という作者(東氏)の謙遜な述懐とは別に、決して「同じ事」は(再演を除いて)やらない創作の作業は、新たな舞台世界を志向することを宿命づけられている訳で、「体夢」「エトランゼ」そして「夏に死す」と続く桟敷童子の<試み>は劇団の「形」をこねなおし、軋ませるものに(結果的に)なっている、と思う。
    今作の試みに、拍手を送りたい。現在を舞台にしたストレートプレイが役者に要求する「リアル」は、従来の、一定のテンションと同質な思いを共有し、集団で作る台詞のリズムが快感でもあった芝居とは少し違う風を舞台に吹かせる。言わば役者を裸にする。その分、役者本人の輪郭が、特徴が、そして魅力も見えてくる。そういう面がある。
    集団芝居でも重要な役を担い、繊細な演技が光っていた池下氏の退団はそれだけに惜しいが、、とは言いつつも、桟敷童子の風合いがそぎ落とされた訳ではなく、ストレートプレイだけれど桟敷童子風味がしっかり残る、そのバランスの具合は過渡的なのか、一つのモデルになるのか、微妙だ。
    人情にほだされる感動をしっかり作り出し、観客の共感をもぎ取る力は、定型的だが発揮されている。 問題は今作の場合、基本リアルな現代劇であり、オチの部分でありきたりな「定型」では物足りなくなるという点だ(これは以前の芝居にも感じていた事だが)。
     父は戻って行く。そして、死は宿命として訪れる。 一夏の出来事(波乱)の後、人の世の「定型」に戻って行く、というオチは、この夏の「出来事」じたいが持つ問題の困難さ、複雑さゆえに、どうもふさわしくないのだ。
    「現在」というこの時間、つまり現実の世界に、解決しないものとして存在している問題群は、非日常が日常を取り戻す事で解決した、という型にはまりにくい。
    これというのも「現在」のリアルに深く繋がる芝居になったからこそ、結末での「扱い」に不満が残ったという事であり、問題を「撫でた」程度の(人情物語に終始した他の)芝居とははっきり一線を画するものだった、と私は感じている。従って落とし所に難しさはあったが全体としてこの仕事に、拍手を送りたいと、強く思う。

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    2016/08/13 02:37

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