夏に死す 公演情報 夏に死す」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★

    さすがの安定感
    毎回、舞台芸術が素晴らしいですが、
    今回も素敵な山の光景が広がってました。
    また、物語も笑いも交えつつも、全編、見入ってしまいました。
    凄く素敵な作品でした。

  • 満足度★★★★

    他の劇団との際立った違い
    手厚い出迎えから座席への誘導までこの劇団は圧倒的なホスピタリティがある。さらに手作り感たっぷりの見事な舞台セットやあっと驚くスケールの大きな仕掛けは今回も健在だった。これらは他の劇団との違いとして際立っている。
    ただ、今回は現代の現実的な問題を題材としていたためかストーリー性や意外性という点でやや物足りなかった。

  • 満足度★★★★

    動き軋む桟敷童子
    桟敷童子の芝居は作者本人がいつか漏らした如く、幾つかのパターンのローテーション、そう言われて否定できない「似たり寄ったり」感はある。これを楽しみにお客もやって来る。だがまったく同じ舞台では無く、新作には何らかの新趣向が必ず盛り込まれている。ようは、「予測の裏切り度」が勝負なのは事実だ。
    その点、劇団歴のどの時点から見始めたかで観客にとっての新鮮度は異なるだろうし、神話的なのが好みか、リアルな方が好みか、などもあるだろう。

    しかし同じ事を繰り返して行くだけ・・という作者(東氏)の謙遜な述懐とは別に、決して「同じ事」は(再演を除いて)やらない創作の作業は、新たな舞台世界を志向することを宿命づけられている訳で、「体夢」「エトランゼ」そして「夏に死す」と続く桟敷童子の<試み>は劇団の「形」をこねなおし、軋ませるものに(結果的に)なっている、と思う。
    今作の試みに、拍手を送りたい。現在を舞台にしたストレートプレイが役者に要求する「リアル」は、従来の、一定のテンションと同質な思いを共有し、集団で作る台詞のリズムが快感でもあった芝居とは少し違う風を舞台に吹かせる。言わば役者を裸にする。その分、役者本人の輪郭が、特徴が、そして魅力も見えてくる。そういう面がある。
    集団芝居でも重要な役を担い、繊細な演技が光っていた池下氏の退団はそれだけに惜しいが、、とは言いつつも、桟敷童子の風合いがそぎ落とされた訳ではなく、ストレートプレイだけれど桟敷童子風味がしっかり残る、そのバランスの具合は過渡的なのか、一つのモデルになるのか、微妙だ。
    人情にほだされる感動をしっかり作り出し、観客の共感をもぎ取る力は、定型的だが発揮されている。 問題は今作の場合、基本リアルな現代劇であり、オチの部分でありきたりな「定型」では物足りなくなるという点だ(これは以前の芝居にも感じていた事だが)。
     父は戻って行く。そして、死は宿命として訪れる。 一夏の出来事(波乱)の後、人の世の「定型」に戻って行く、というオチは、この夏の「出来事」じたいが持つ問題の困難さ、複雑さゆえに、どうもふさわしくないのだ。
    「現在」というこの時間、つまり現実の世界に、解決しないものとして存在している問題群は、非日常が日常を取り戻す事で解決した、という型にはまりにくい。
    これというのも「現在」のリアルに深く繋がる芝居になったからこそ、結末での「扱い」に不満が残ったという事であり、問題を「撫でた」程度の(人情物語に終始した他の)芝居とははっきり一線を画するものだった、と私は感じている。従って落とし所に難しさはあったが全体としてこの仕事に、拍手を送りたいと、強く思う。

  • 満足度★★★★★

    忘れえぬ夏
    老い、痴呆症、介護と重くなりがちなテーマを題材にした作品だが、それ以上に、人の温もり、優しさ、愛おしく感じる、素敵な作品でした。

    ネタバレBOX

    登場人物全員と言っていいほど 、訳ありの人生 。
    それもまた 生きる 意味であることを、感じた。

    痴呆症 の父 の親族等と 、自然農園『Bee』の人々の対比が、鮮やかすぎるきらいがあるが 、それも立場の違いと納得した 。

    単純なハッピーエンドではないが 、未来には、 希望が あると信じられる素敵な 作品 でした。
  • 満足度★★★

    金払って観るからには厳しくもなる
    他所なら四つ星以上献上だがここは別格だからね、かなり期待して足を運んでいるので・・。
    役者も熱演だしいい話なんだけど、面白味を感じられなかったので、今回辛口評価で。

  • 満足度★★★★

    客演陣の熱演に助けられた一面も
    昨年後半、怒濤のごとく炭鉱三部作の連続再演を行った劇団桟敷童子が、中核メンバー数人の退団を経ての新作現代劇を上演するというので、6日午後にすみだパークスタジオ倉に出かけてきた。もちろん、知人の役者・もりちえは、今回重要な役をこなしての出演であった。

    舞台は現代の九州。2年前に病院から失踪し行方不明になっていたものの、自宅近くの蜜柑山でみつかり、その山で運営されている自然農園「Bee」で保護された元中学教師で認知症の父親を引き取りに訪れた三人の子供たちと、自然農園の従業員(そのうち一人は失踪した父親の教え子だったことから身元が判明)との交流、父親を巡る人々の感情的な行き違い、理解無理解などが入り交じった複雑な、本当に複雑な日常生活が描き出され、年をとることとは何なのか、生きていくと言うことはどういうことなのか、家族の結びつきとはどういう物なのかを何気に、時に深く問うたなかなかの秀作であった、

    特に父親と母親の板挟みになり、晩年は父親の面倒を見ていた失踪した滝雄の長女・智美役のもりちえ、Beeの代表・植村役の尾身美詞(劇団青年座)、そして肝心の失踪した本人・滝雄役の山本亘はなかなかの熱演だったし、滝雄の長男・信雄役稲葉能敬も頑張っていた。
    いつもとは違う客席と舞台の設定は、終盤に舞台にあった軽自動車を滝雄が運転して舞台から建物外に移動するためであることがわかり、演出面での苦労・工夫もいつもながら感心。
    ただ、やはり結末のもって行き方の難しさと滝雄の動き・台詞の処理の仕方にもう一工夫あっても良かったような気がした。おそらく、脚本の東もそのあたりは苦労したのではないだろうか。

  • 満足度★★

    うーん…
    そんなとこで泣かなくてもいいだろってとこで泣いたり、いちいちリアクションが大きかったり、小劇場にも関わらず役者の芝居が皆、必要以上に大きく嘘っぽい。全てにおいてリアルではなかった。私の好みではなかった。制作、場内整理などは☆5つなので、総合で☆2つ。

  • 満足度★★★★

    夏に死す
    自然農園「Bee」の人たちがいい人で、私なら「お願いします」ってお父さんをおいて来てしまいそうです。身内がみるのがいいとは限りません。他人だから冷静な目で見ることができたり、優しくしてあげられたりするのではないでしょうか。過去の恨みもないでしょうし。

  • 満足度★★★★

    死ぬという意思は…
    死期が迫ると身につくものなのだろうか?
    多少歪でも「生きる」ことはできるが
    自殺以外で「死ぬ」ことは意思決定できるのだろうか?

    「呆け」「介護」という事が現代日本には溢れている。
    死ぬことさえ忘れてしまったのかと思える老人も増加するのだろう。
    家族はどう対処すべきなのか?自らの生活を投げ出すことでしか「介護」は解決しないのか???

    本作はしかしながら、呆けのもとで生きる人間の尊厳を謳っているようだ。
    登場人物皆がそれぞれ事情をもっている。生きることに疲れ、死を選択しようとしながらも、それを結果的に乗り越えている。

    「生きる」とはどういうことなのだろう?「死ぬ」その瞬間まではとにかくも生きているのだ。

    個人的にはそんなことを考えさせられた。

    いつもながら、物語に心を奪われる。良作。
    多少希薄な語り口が気にはなったが…。

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