余計者 公演情報 teamキーチェーン「余計者」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    余計者とは…
    公演の外形とも言える舞台美術、照明・音響などの技術は、印象深く効果的であった。優れた舞台美術はジャンルや好みが異なっても、その視覚からさまざまな感覚が生まれ、開演まで想像力豊かにしてくれる。

    物語は時系列に沿った回想録のようでもあるが、その範疇を超えて一種の異形が展開される。しかし自分の中では、納得性に欠け物足りなさが残った。

    さて制作サイドは、主宰で作・演出のAzuki女史が客席案内するなど、丁寧な対応をしていた。

    ネタバレBOX

    会場に入ると、しっかりした舞台セットが組まれている。それは上手・下手を大きく2分割し、上手にアパートと思しき室内。座卓、TV、整理BOXが置かれており、3つのドアが見える。別室、キッチン、玄関に通じるイメージである。下手はこのアパート前の路地。そして奥にはこの劇場の高さを利用した長階段があり、アパートの外ドアに通じる。この左右非対象の構図は、登場人物の屈折した精神構造を見るかのようだ。

    この作り込んだ室内と路地という大きな空間は、物語の情景をより鮮明にする。と同時にその不均衡は、冒頭や途中に挿入される群集独話の不気味で不安定な感情を示しているようだ。

    梗概...カエデ(マナベペンギン サン)は、両親との「約束」に縛られ...我慢強く、父親の言うことを守って妹を助け出そうとする。その話は、17年前に遡る。両親はその叔(伯)父の借金の肩代わりのため自殺。赤ん坊であった妹(三ッ井夕貴羽サン)は、借金取りの情婦(秋山ひらめサン)に連れ去られる。時は下り現在...中学時代の友・大学4年生のハジメ(岡田奏サン)と再会する。その頃、ハジメは自分が周りの人をスパナで殺している夢(幻覚)を見る。

    この物語の納得性に欠けるのが、この場面である。この幻覚はカエデが見ているのであれば、カエデとハジメが同一人物で、劇中で語られる分身(ドッペルゲンガー)のように、2人がお互いを照らし、過去の清算と未来に対する希望を炙り出す、そう思っていたが2人は存在する。
    そうであれば、久しぶりに会った友とシンクロして、ハジメが幻覚を見るという設定に疑問が生じた。余計者はもう一人の自分...心の問題に観客(自分)の想像力を駆使して真正面から向き合う、そんな投げかけがあっても良かったのではないか。意識下に刷り込まれた「約束」は、狂気となって体とともに成長(大きく)した。

    もう一つ疑問...カエデが、借金取りの情婦の部屋に侵入した際、すぐに相手が認識できたこと。17年前であれば5歳前後である。その子の顔に覚えがあったとは思えない。その妹は、純真のようだが醜業しているという歪さ。

    冒頭の舞台美術に戻るが、その造作が内容に溶け込んで現実と夢想が混然一体となる。物語に突っ込み所はいくつかある。Azuki女史にしてみれば、想定内かもしれない。リアリティを追及することは大切であるが、それが過度になれば観客(自分)の想像力の幅を狭めるような気もする。観客によって想像力の幅は異なり、受け取り方も様々。そこに芝居の面白さ魅力があると思う。

    頭で考える理論か、心に刻む感情か…この公演は、人の心にある歪な感情、自分自身でも持て余す…この心の在りようこそ、余計者のように思えるのだが…。

    次回公演を楽しみにしております。

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    2016/05/23 19:53

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