この声 公演情報 オイスターズ「この声」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    大きな問いをはらむナンセンス・コメディー
     おっとりした成人男性1人と、彼をいじめる若くて元気な女性3人が登場するナンセンス・コメディーでした。平気で嘘を重ねる小悪魔のような女性たちが男性を追い詰めますが、男性もうっかり調子に乗って作り話をするので、自業自得の滑稽さも際立っていきます。虚構(=物語)の楽しさと豊かな可能性を軽妙に伝えつつ、軽々しい嘘によって起こる事件に空恐ろしさもにじませました。

     終演後に物販コーナーで戯曲(1,000円)を購入しました。読んでみると上演中にははっきりと理解できていなかった箇所があり、他の座組みでも観てみたい戯曲だと思いました。

     終演後に作・演出の平塚直隆さんからお話を伺うことができました。4都市ツアーのうち、東京のこまばアゴラ劇場が空間的には一番小さいそうで、他劇場とはかなり印象が異なるかもしれないとのこと。言われてみれば確かに、大きな劇場にも合わせていたせいか、俳優の声は(こまばアゴラ劇場のキャパに対しては)ボリュームが大きい目だった気がします。その点は気にしないようにしました。

    ネタバレBOX

     開場時間には学校などの公的施設でよく聞くタイプのアナウンスが響いていました。選曲も懐かしく、さすがは昭和48生まれの俳優によって結成された劇団だなと思いました(私は同世代です)。平台をそのまま並べた床面が広がり、下手手前にイーゼルと木製のイス、そして絵画用品が置かれているシンプルな空間です。

     暗転後に開幕すると、成人男性がイスに腰掛けてキャンバスに筆で絵を描いていました。上手からセーラー服を着た若い女性が登場し、開演前のアナウンスの効果もあって、すぐに学内の風景だと想像できました。ただ、演技が機械的で空気が固く、もしかすると男性の想像の世界の出来事であって、学校でもないし、劇中の事実でもないのかも…と、しばらく様子見をすることに。その後、特に演技方法などに変化がなかったので、こういう作風なのだろうと、細部にはこだわらない見方に落ち着けることにしました。

     安易な思い込み、軽率なレッテル貼り、間違いだらけの伝言ゲーム、悪意の噂やデマの流布などは、インターネットがインフラ化してスマートフォンやSNSが進化した現代において、頻繁かつ容易に可視化されるようになりました。それらの行為がシンプルな会話劇にギュっと凝縮されている、面白い戯曲だと思います。喜劇だからニヤリとしてやり過ごせますが、実際に起こったなら、笑いごとでは済まされないことばかりです。

     男性教師は自分を翻弄する女生徒3人が顔見知りの仲間だと思っていましたが、終盤で、顔も見たことのない他人同士だったとわかります。匿名のチャットのグループで男性の情報を共有をしていたのでしょうか。LINEやtwitter等を日常的に使っていれば、そういったことは可能で、自分の身にも起こり得ると想像できます。バーチャル(虚構)の虚言がリアル(現実)に影響を及ぼしたなら、その虚言は現実のはず。じゃあその虚言を発した声は実在するのか?その声の主は生きている、リアルな、人間なのか?…という具合に、一見くだらなくて軽々しいやりとりの中に、大きな問いを含んでいるのが巧みだと思いました。

     彼らは死体となった人間が動き出し、生きた人間を襲うという有名なバケモノの“ゾンビ”の話をしていました。ゾンビは死体だが動く、だとしたら生きているのか? 息をしていることが生きている証だと思っていたが、そうでないなら人工知能も生命ではないか? やがて「生きているって何なのかしら」(16ページ上段の女2のセリフ)という風に、生きていることについて直接的な問いかけをしていきます。18ページ上段ではより具合的になります。
     女3:そうですよね、死んでたら、その人の声は届かないですもんね。
     女2:今私達は、生きている事と死んでいる事の違いについて考えているのです。
     
     人間が生きている事とは何なのか。自分の存在を確かめるには他者の存在が不可欠です。そのかけがえのない他者と真実の言葉でつながらず、嘘で誤解を重ね続けることは不毛、つまり死を意味するかもしれない。それなら息をしていたって死んでいるも同然。生きながらにして死者にもなれる…などと考えを巡らせました。

     俳優の演技については劇団独自の方針や方法論があるのだろうと思います。私は舞台上で生まれる俳優同士の交流を味わいたいと思っているので、振付どおりに進むように見える会話には興味が持続しませんでした。たとえば、自分が相手に向かってセリフを言っている時は言うことだけに意識を集中し、言い終えたとたんに息をつき、相手が話しかけてくる時間はただ休憩をして、自分の番を待つ…といった演技には惹かれません。

     教師と生徒の日常会話と見せかけて、実はあり得ないような演技で構成されていました。もっと挑発的な試みを加えてもいいんじゃないかと思いました。たとえばジャンプするとか踊るとか、観客に向かって堂々と話しかけるとか。そういった飛躍を包容できる戯曲だとも思います。

     女1(横山更紗)が勝手に1人で歌い出す歌が楽しかったです。下手奥でネジのように回転しながら、奈落に刺さって履けていく場面は印象に残りました。
     女2(川上珠来)は髪の毛が顔に広くかかっていて、横顔の表情が見えなかったのが残念でした。
     教師を演じた田内康介さんは愛嬌たっぷりなので、サンドバック状態が苦になりませんでした。終盤の長い一人語りは見どころでしたが、床に寝転んでじたばたしながら叫ぶだけでなく、声にも動きにも、もっと変化が欲しいと思いました。

    0

    2016/05/17 00:48

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大