錯覚、して、沈黙。 公演情報 feblaboプロデュース「錯覚、して、沈黙。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    自分と他人の間には...
    初めて聞く「カプグラ症候群」...その心療内科用語は、親しい関係にある人ほど、本人であるか否か疑いだす。もっとも話の内容から自分の置かれた状況が一時的にブルーになっているようにも思える。本当にこの人でよいのか?もっと違う誰かがいるのでは、という不安定な精神状態のようでも...。

    話の展開は、哲学めいたところもあるが、その観せ方は最近見かける演出手法のようで、あまり新鮮さは感じられなかった。

    ネタバレBOX

    自分の存在(本当の自分とは)の証明が難しいように、親しい人が本音、考えていることが偽りでないかと疑う。疑問が不安に、不安が疑心暗鬼へと悪循環に陥る。この状態を心療内科の聞きなれない症名を用いて興味を持たせる。繰り返し症状を説明することで、その意図を強調しているかのようだ。

    舞台セットは、上手・下手に各3脚のパイプ椅子が向かい合わせに置かれている。中央は、テーブルを挟んで椅子。喫茶店内のイメージ、その奥に一段高いところに客席に向かって椅子1脚。上手・下手は人格の入れ替わり。中央奥は俯瞰するような位置付けか。中央下手側にスクリーンボードが立てられている。

    主人公にあたるカップル、成嶋やよい(小畑はづきサン)と柴田剛(大垣友サン)は近々結婚することになっているが、やよい が 剛を本人でないと言い出す。その根拠は定かでなく、原因を心療的なこととして決める。生涯の伴侶はこの人で...世間でいうところのマリッジ・ブルーのような気もする。

    本筋に絡めて大学時代のサークル(映研)の仲間、やよいの勤務先(小学校・教師)の同僚が、それぞれの関係性を面白く観せる。演出は、映像でスマホの画面を映し、そこにLINEのやり取りを見せる(少し長い気がする)。
    映画でも同じように用いられる。最近では、花嫁に関連付けるのであれば「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016年の邦画)でも冒頭から出てくる。

    自分自身の存在をどう証明するのか、そして本当の自分の気持とはという自問自答。ある程度、他人の評価で外形付けられているかもしれない。そしてその他人の目、評価が気になりだす。直接会っていても、直視し本音で話せない。そこに携帯電話、スマホ等の媒体が介在してくる。街中でよく見かける光景ではないだろうか。素の自分であっても、知らず知らず演技をしているかも、というシュールな切り口は観応えがあった。

    次回公演も楽しみにしております。

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    2016/05/13 11:47

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