愛せ、讃えよ、我は幻覚の王 公演情報 レティクル座「愛せ、讃えよ、我は幻覚の王」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    もう少し整理できれば...勿体ない
    タイトル”幻覚”という言葉は、最近のニュースでは薬物問題に目が向く。この物語での幻覚は厳格に通じる王道を示すようであった。これも最近話題の「保育園落ちた、日本死ね!」という匿名ブログ、この対応が後手に回った政府...その結果、この問題に直面している人々の反感を買ったことを連想した。玉座からは庶民の暮らし向きを感じることも、見ることもできない。

    この公演は、多くの時事ネタを盛り込み面白いが、芝居の演出としては、回想・邂逅シーンが多く冗長にも感じる。また本当に必要なのか、疑問に思うシーンも...。もっとも、その受け止め方は観客の感性によるもの。自分は演劇評論家でもなければ、見巧者でもない。劇団サイドの率直な感想を...それに呼応するとすれば、緩いサスペンスストーリーという印象である。

    ネタバレBOX

    舞台設定は、「惑星ツィーファーにある唯一の国家『フェリア国』。この国のほかに人類は存在しない。惑星全体は赤い砂漠に覆われており、旧人類がテラフォーミングした、北海道程度の面積の場所で400万人が暮らしている。」ということらしい。

    その舞台セットは、中央に2階部、3階部(玉座のような)に相当する高さまでの階段を組み、上手・下手にも階段、傾斜のある通路がある。中央階段部は赤い絨毯が敷かれている。

    この国は、大別すると王(貴)族、マフィア、スラム民に分かれるという、典型的な階級社会になっている。統治していた王が殺され、その子が若くして即位する。この国はアレン(アヘン)が 流通し庶民生活・健康が蝕まれ、貧困に喘いでいる。この悪を排除するため、若き王はマフィアと対峙するが、大きな抵抗にあう。さらにマフィアはスラム民をも巻き込み、若き王を翻弄していく。その混乱から混沌とした世界(社会)が生み出される。人質の処刑などは、現実のテロ集団を連想させる。自分の正しき信念は、世間知らずの独りよがりであることを認識する。しかし、その認識するまでには多くの犠牲が...。

    ”盲目の国民”という、鋭い問いかけ。王(リーダー)という立場は孤独であり、玉座に居ては耳目が無に等しい。物語は、教訓的要素も多分にあるが、コミカル、スピード感ある演出はよかった。一方、同じシーンへの繰り返し、不要・不快と思えるシーン(例えば、半桃 尻など)は整理し、真に観客に伝えたい物語にすべきであろう。

    さて、当日パンフに作・演出の阿部慎太郎 氏が「(略)…簡単にお互いを褒めあえる今の現状は、時に自分の評価されればされるほど、芸能人やアイドルになったような錯覚を引き起こします。この錯覚によって個人の『承認欲求』は肥大化します。以下略」と書いている。批判評を受けることで次回作品への糧としている節もある。

    次回公演を楽しみにしております。

    0

    2016/03/23 07:06

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大