ワークインプログレス・子どもたちは未来のように笑う 公演情報 遊園地再生事業団「ワークインプログレス・子どもたちは未来のように笑う」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    子どもより夫婦や母親の心の形・・
    なのかな、と思った。

    確かに子どもは素敵だ。存在自体が素晴らしい。キラキラしている。

    でも、たとえば夫婦が子供が産めないからといって離婚するものなのか?

    自分が将来結婚して、奥さんが子どもが出来ないからと言って離婚するのか?

    そのことが原因で離婚するとは到底思えない。子どもが出来れば素敵だとは思うけど、勿論。

    子どもというのは目的じゃなく、夫婦の間で幸せなコミュニケーションを積み重ねた末の予期せぬご褒美のようなものだと思うし、そうであってほしい。

    そう考えると何に注目したらいいのか分からないぼんやりしたタイトルそのものがまず疑問だ。

    未来のように笑う子どもに誤魔化されたらいけないんではないかな。地道なコミュニケーションこそが重要だ。

    観に行くのか若干迷ったが見ることにした。ちょっと遅刻したけど(苦笑

    ネタバレBOX

    戯曲の作者の目線が男性か女性かで大分違う。

    もちろんそれを取り上げた役者の意図によっても。

    気のせいか女性目線の作品が少ないのは日本の演劇の特徴だ。唐十郎なんかが出てくると演劇的ではあるけどずいぶん偏ったものの見方だなあと改めて思う(苦笑

    これを作品に組み込むと癖のある作品なだけに全体を通した作品の解釈がぐんと難しくなる気がする。

    子どもは素敵だ。でも、正直もっと子供のいない人たちの子どもが居なくても幸せに普通に暮らせる話を盛り込むべきだったと思う。

    子どもの存在の話をするなら逆にもっと不在の話をした方が良いと思う。

    子どもがいない状態でも幸せな夫婦の話がもっともっともっと必要だと思う。夫婦の子どもも「子ども」なら、子どものいない夫婦の奥さんも元は誰かの子どもなのだから。

    「子どもがいない夫婦も未来のように笑うよ」とタイトルに追加すればよかったのにな、と思った。

    ワークインプログレスとはいえそういう意味で構成的に悪かった感は否めない気がした。

    それでも、こういう作品がもともと少ないせいか成果はあったと思う。

    子どもたちが未来のように笑うとはどういうことなのか?

    最近関西で子どもが観客で歓迎される舞台を何作品かみたせいか、作品だけじゃなく、観客の子どもより周りの大人の観客の緩さが重要なんじゃないかと思った。

    実際、自分が観たアゴラの観客席に子どもはいなかった。

    7時開演の開演時間の遅さも問題だと思う。子どもがもっと観客席にいなければ。分かりやすくなければ。子どもが退屈して声を上げても許すぐらいの寛大さも必要だと思う。全回11時開演にして、アフタートークだけ昼の回の録画映像を流した後夜に行えばいいんじゃないかとも思った。

    観客席に子どもがいない舞台で子どもを語る意味はなんなのか?

    議論?はもっとシンプルでも良いんじゃないかと思った。

    主役の子どももいなければ同じくらい重要な役割を果たす子どものいない夫婦の話も出てこないのはちょっと不足感が・・子どもが我々を笑顔にしてくれるわけじゃなく、子どもが仮に一人も存在しない世界でも我々が笑顔でいられるからこそ、そこに生まれ落ちた子供たちも笑顔でいられるからこその未来なんじゃないかという気も・・

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    2016/03/14 23:17

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