値千金のキャバレー 公演情報 ホチキス「値千金のキャバレー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    初ホチキス。こういう感じ。
    「今回は」との断り書きは見ないからおそらく毎度の「ミュージカル」なのでありましょう。音楽とストーリーと小ネタとメッセージで引っ張る。高揚させるツボを押さえて技を繰り出す。 今回の悪者は「神」と呼ばれる輩で、こいつを倒さん事には埒あかぬ、という説明が序盤で明確になっている。いつこの悪と対決することになるか・・というお膳立てが早々に出来ていて、この骨組に乗っかって、いろいろと遊んでいる。
     「歌を禁じられた町」を舞台に進むストーリーはかなりラフ。だが観客の中に「歌の素晴らしさ」を否定する者など居らず、ギャグも織り交ぜ登場人物たちに共感をよせたからには、その彼らの努力や挑戦を「応援する」という選択肢以外、観客に残されていなさそうである。でないと入場料がフイになってしまう。 まぁそんな半強制な仕掛けがミュージカルという代物ではあるのだけれど、「強制」に従うに値するだけの、芸をいかほど披露できたかが、点数の根拠になるのだろう。
     その大きい部分をなす「演奏」の技量と楽曲のレベルはなかなかである、と評価できた(私の好みではなかったりするが)。歌唱力、ラップ、その歌詞も考えられている。
     一方、印象として際立つのが4人組のアイドル結成で、ローラースケートの替りにアレ(名前を知らないがハンドル握って一か所でピョンピョン跳ぶやつ)を手に、短パンとジャンパーの出で立ち。つまりパロディだ。歴史遺産(光GENJIをそう呼ぶなら)と照合して「アイドル」と認知させ、オリジナルでの勝負は降りている、ということは、アイドルのくだりはギャグの範疇になるのである。物真似芸を真剣に評価する文化がなければ、これは成立するのだろうか・・と思わず考えた。 それでも、何より歌唱力が武器になっていた。
     もっと書けば、、アイドル的な存在と、それを慕う人々の「慕い方」について、う~む・・と考えさせられた。「日本的」と私が感じるものがそこにあって、昭和の時代から昨今は精神文化も変遷を遂げているとはいえ、「原形」となるものは連綿と生きている。このミュージカルの「仕掛け」に拍手を送っている人たちを見ながらそう思ったものだった。それがはっきり「何」である、とは説明できないが。。
     このタイプの「ミュージカル」は世に多く、その中で完成されたモデルを提供するグループであるかも知れない。「参加型」の仕掛けも仕込まれていたが、厭味がなく、こちらに負担感がなかった。色々と配慮が考えられ、サービス精神の賜物とみえる。

    ネタバレBOX

     ストーリー上の難点は、「神」は万能でありながら、負けてしまう、という事がどう成立するのか。ファンタジーでは通常、困難の克服にはクリアすべき条件があって、具体的だ。「神」の弱点が何で、どう克服しようと彼らがしているのか、よく分らなかった。試練に真剣に立ち向かう、という動機は、そうしなければ排除できない窮状、悪弊、理不尽な現実から立ち上がってくる。 その点、舞台となる町では「歌が禁じられた」のに、選ばれた歌い手一人だけはキャバレーで歌を歌っており、なぜかそれが彼女に課せられた重荷のように描かれているが、なぜ喜びでないのかが説明しきれておらず、また、歌は歌えないが「聴く」ことはできるのに、人々が歌に餓えて彼女の歌を聴きにくる、といった様子もない。 そうした脚本上の「舌足らず」を補完するものが音曲や演出にあったかどうか・・。確かに笑いは武器で、そうした不備を忘れさせるものだが、一定のリアルな現実に根を張ったところから(人物の)行動の意味、目的を形作るのでなければ、その瞬間は楽しくても劇場を出た直後、感動を支えているメッセージは土台を失い、早くも消えている・・ということにならないのだろうか・・。そんな事を考える自分にとって感動できるミュージカルと出会う事は、果たしてあるのか。。(呟)

    0

    2016/02/07 02:56

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大