ラバウル食堂 公演情報 劇団芝居屋「ラバウル食堂」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ディテイルの面白さ
    初観劇の劇団。ラバウル食堂、というタイトルが気になり観劇させて頂いた。タイトルはとある商店街の一角にある古い食堂の名前だ。芝居が進むとこれが至極納得なタイトルである。元店主がラバウル戦線からの帰還兵(病気のため玉砕の前に帰国した)、戦友たちから預かった手紙を遺族に渡すために戦後「ラバウル」と名を冠した食堂を出したという。古くなった食堂を改装した娘、その婿や町の人達が結果的にはその遺志を継ぐ事になるお話、と諸々捨象すれば、そういう話である。
    面白いのは町の信金の営業青年やブティックの店長、その踊りの師匠雑貨屋、ラーメン屋、肉屋といった面子が「町おこし」が恒常的なテーマとなった町の日常の、なかなかリアルに切り取られた光景を再現しているところだ。
    じりじりと逼迫させられている「地方」「地域」の例に漏れないこの町で今イベントが計画されているらしい。そこへ、「ラバウル食堂」とのこの町を探る地域のケーブルテレビの取材が入り、カメラを回す所での、まるでお約束のようなコミカルな場面もある。番組が放映されると皆それぞれの携帯の着信が鳴り、反響に喜び、泣くシーンも用意されている。
    最後には、地域を盛り立てようと奔走していた信金のお兄さんの願いも叶わず支店が撤退となり、また日々味と格闘するラーメン屋の倅がついに独立の意志を親父に打ち明け、すんなり認められるといった、そんなエンディング近くのエピソード紹介。
    地元を愛し地元で頑張ろうとする人々と、「外」へ出て自分を試したい野心を持つ人との、潜在的な対立構図がこのラーメン屋の息子を通して浮かび上がるが、何故か男は父の承諾を得た途端、東京へ行く気を無くす。「憑きものが取れる」と言うが、「東京」「都会」、ある種パターン化した「成功」の図への囚われは、様々な問題を難題と意識させる大元ではある。

    地域の疲弊の問題と、風化して行く戦争という問題が主に盛り込まれた芝居だが、私の常々のこだわり=戦争をドラマの手段として用いる事の倫理的懸念=には抵触せず、人と社会に歴史有り、という単純な事実に気づかせる芝居である。
    もちろんこの社会の「日常」がどうなっているのか、という視点が大事なわけで、「のぞき見る」日常は様々に解釈し得るし、切り取り得る。
    いずれにしても、この芝居のような平和が続くことが願わしいと思える芝居であった。

    ネタバレBOX

    舞台美術は路地と、食堂店内の二つで、路地のほうは前面を使っているが、食堂の豪華な作りに比してそっけなかった。下手の出はけを客席側の扉を使ってやっていたようだが、隠しが無いため劇場の黒い壁がもろに見えてどうしても「作り事」(学芸会)の印象を最初に持ってしまって損である。
    俳優の演技にもう一歩頑張りが欲しい、とは素朴な感想だ。アマチュア劇団として見ればそこそこ頑張ってる、という評価になると思うが・・ 脚本が描き出す人物が、たとえドラマ成立のためそれ以上の掘り下げを要求していなくとも、俳優の人物造形で芝居に深みは俄然違ってくるのではないか。

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    2015/11/28 03:05

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