期待度♪♪♪♪
1995年は 何色?
歓楽街の明るく煌びやかなカラーが思い浮かぶ国民は少数派だろう。この前年、政界の寝技師たち が「ウルトラC」をかました。末に現れたのは、村山富市氏を首班とする「自社さ」だった。日本国憲法第9条「武力の放棄」。額面どおりにうけとめれば陸海空の自衛隊を 憲法上 認め られない。およそ半世紀に わたり、平和綱領を掲げてきた日本社会党、それも、原理的なグループに属す人物が、一夜にして寝返った内閣であった。読み間違えたから違憲だったのか、正しく読めたから合憲なのか。政治家の読解力は 都合がいい。
組織は上から腐っていくらしい。たしかに そうだ。東芝の歴代社長が自ら不正経理に ハッパをかけていた事件を 目の当たりにすると、この格言に異を挟む余地は ない。ひょっとすると、1995年は、日本国が 頭から尾ひれへ いたるまで腐っていく、ただ それだけの一年間だったのかも。大多数は この年を、感覚的だが こう、とらえる。明け方の商店。軒先きのシャッターが しまった ままの、寂れた歓楽街。ポリ袋を背に横たわった泥酔客が 白々しく異彩を 放つ。すなわち、雑踏の年だが そんなカラーだ、と。
僕たち、私たちの朝を「ドン」の音から 揺らしつづけた阪神淡路 大震災。東日本大震災以来、戦後史のスクープ写真を 一枚、二枚と引き渡していったようだが、防災に与えた影響は 2011年の比ではない。神戸と大阪は30分で つながっている。関西圏 2000万人に とり、この震災は、身近すぎる 「わがこと」だったのである。他人行儀を ちらつかせた、東京人主体の「東北を応援しよう!」の比じゃない。
1995年を舞台化。いささか遅すぎた感は 否めない。それこそ、この年を境とした『内向化』社会のバッシングを はねのけ、長年 めげずに風刺を重ねてきた身だろう。インターネットでの評判は もっぱら渋い。トークショーゲストが両極の「大物さん」だからでは、まあ あるまいが。
1945年でも、1984年でも なく、1995年の話を観たい。テレビが一億人の『頭』だった時代である。遠くのニュースなのに、不思議だ。距離は 隣町に しか及ばぬ。ことごとく 引き立てられる。報道が過熱する。国と地方一体となった防犯防災化の契機となった時代である。じゃあ、審査しよう。はて、ホントに、あれ、「ウルトラC」の点数だったのか、と。