蟻と太陽 公演情報 兎団「蟻と太陽」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ジェズイットと政治
     時は1627年三代将軍、家光の時代である。島原の乱収束に至る10年余を扱っている。

    ネタバレBOX

    九州は、天正の遣欧使節の関係もあり、キリシタンの多い地方であった。それも、ヨーロッパでは、その余りにも厳格な戒律の為に布教に行き詰ったジェズイット派である。一方、ジェズイット派の聖職者は、高い理想に燃え、命懸けで布教に生涯を捧げる優秀な者が多かったのも事実である。ヨーロッパの天才達の家系を辿ると、親族にジェズイットの聖職者を抱える家が多いのを見ても、彼らの優秀性を傍証することはできよう。
     何れにせよ、初期、南蛮貿易の利益を考慮してかキリシタンにも比較的鷹揚な態度を取っていた幕府であったが、二代目将軍秀忠が亡くなり三代目になると将軍の言うことを字義通りに実行しない者は、大名でも取り潰しに遭うなど幕府の締め付けは、どんどんきつくなっていった。キリシタンに対しても、禁止の触れは出しても実情は黙認からの変化が激しかった。取り押さえて水責め、拷問、火炙りなど残虐非道な弾圧が加えられたわけだ。それも成人男子ばかりではなく、妊婦、子供に迄類が及んだ。また、年貢の取り立ては、日照りや渇水、台風などで収穫が少なくとも減免されることはないばかりか、捉えられては拷問を加えられるのが、当時人口の大多数(90%)を占めていた農民の生活であった。(三代目になってから更に過酷になった収奪や拷問、虐殺について“現場を知らないお坊ちゃんで、自分の言ったことが実行されていないと、実行する為どんなこともする”という風に描かれているのは、無論、姑息で嘘つきの大馬鹿者、安倍をおちょくっているのは明らかだろう。)
     この虐殺と弾圧・圧政に終に立ち上がったのが、天草 四朗、敵対する勢力を次々に撃破し、島原に立て籠もった時点でその勢力は3万7千にも上ったという。遂には幕府が松平 定信を大将に10万の大軍で平定に向かうこととなった。然し、松平自身、自軍の犠牲も無駄な殺戮も望まなかった為、兵糧攻めを敢行。四朗たちの降伏を待つ作戦に出たが、信心に篤い一揆軍の士気を挫くことはできなかった。だが、籠城が長引くにつれ、夜も徹して監視下に置かれ食糧、薪などの調達もままならない一揆軍は、徐々に追い詰められてゆく。
     ともすれば士気の下がりそうになる面々を四朗は励まし続けるが松平も知恵者、徐々に反乱軍を追い詰めてゆく。遂にもうダメか、という瞬間、立て籠もる反乱軍と対峙する幕府軍の彼方に多くの軍勢が鬨の声を上げた。立て籠もった四朗達3万7千の十倍もの軍、それは九州全土から駈けつけたキリシタンであった。
     最初っからSF要素が輻輳されているので、史実には反する幕切れであるが、立ち上がれば勝てるのではないか? との若者からの問いかけと捉えることもできよう。現実は完全なディストピアの現代、せめて夢を実現する為に生きたいものである。夢の為に命を失うにしても何の惜しいことがあるものか。どうせ先には絶望しかないのだから。そしてこれだけは、はっきりしているのだから。と思い込めるほど、絶望的なのだから。

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    2015/10/27 04:27

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